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堺市立中央図書館/堺市史

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堺市史 第七巻 ((八)妙國寺蘇鐵)

(八)妙國寺蘇鐵 【所在】妙國寺の蘇鐵は同寺客殿前方の庭園にあつて、其親株妙國は大正十三年十二月九日内務省,其に據ると信長復植の後次第に枯死せんとした時、精靈が現はれて妙國寺開山日珖に教へる所があつた。,(堺史料類纂、妙國寺住職聞書)【妙國】就中大土壇の妙國は親株に當り、德川家康宿泊の際「妙なりや國にさかえるそてつ,【銕蕉歌】        妙國寺銕蕉歌  妙國寺中鐵蕉樹、幾年寰宇馳芳譽、全身〓珂魚鱗重、頸質堅緻銅柱固 / (八)妙國寺蘇鐵
堺市史 第七巻 ((五)妙國寺)

(五)妙國寺 蘇鐵を以て聞こえてゐる、【所在】廣普山妙國寺は材木町東三丁一番地にある。,表門は 第百十八圖版 妙國寺境内實測圖 第百十八圖版 妙國寺境内實測圖      瓦葺四脚境内南側中央 / (五)妙國寺
堺市史 第七巻 ((一)妙國寺)

(一)妙國寺 妙國寺は廣普山と號し、【位置】材木町東三丁にあり、【無本寺】日蓮宗無本寺、【沿革】開基三好豐前守之康,是れ卽ち妙國寺の前身である。,【中山寺輪番】是に於て文祿三年中山寺の役者一同は日珖を後住に請し、且台命を以て堺妙國寺と法華經寺との兼職,猶方丈庭前の蘇鐵は妙國寺の蘇鐵として四方に著聞し、本堂の庭前は明治元年二月佛蘭西兵士を殺傷した土佐藩十一士,【實休塔】又堺鑑、和泉名所圖會等には三好之康塔の存在を記し、法諡妙國寺殿光德實休と鐫すとあるも、其所在 / (一)妙國寺
堺市史 第七巻 ((五八)日述)

妙國寺の日珖に師事し、博聞強記を以て知られた。,【妙國寺第三世】妙國寺の第三世となり、又中山を督し、同十二年四月二十二日遷化した。
堺市史 第七巻 ((五〇)日現)

妙國寺第二世日統の甥である。,【妙國寺五世】【堂宇再興】同寺第五世となり、元和兵燼の後復興に力め、本堂及び庫裡を再建した。,【妙國寺境内隱栖】後幾何ならずして泉南に歸り、妙國寺の東南隅の小菴に退隱した。
堺市史 第七巻 ((八二)油屋常祐)

(八二)油屋常祐 油屋常祐は、油屋(伊達)常言の子で、【日珖の伯兄】妙國寺の開山日珖の兄である。,(妙國寺過去帳)【紹鷗門】茶湯を武野紹鷗に學んだ。,(妙國寺過去帳)妙國寺に其墓碑がある。
堺市史 第七巻 ((五三)日統)

堺に生れ、年少出家、妙國寺の日珖に師事し、永祿九年頂源寺に於て、日珖及び日航と與に日蓮述作の書を校合し,【妙國寺第二世】天正七年七月妙國寺第二世となり、宗内の重鎭となつた。
堺市史 第七巻 ((二八)長源寺)

(二八)長源寺 長源寺は永松山と號し、【位置】西湊町にあり、日蓮宗堺妙國寺末、寺格紫金襴跡。,堺南北寺庵本末開基宗旨改帳、長源寺過去帳)第二世權大僧都日沾は、第三世日珖の師で、【日珖得度】日珖は當寺に於て得度し、後妙國寺,妙國寺の過去帳にも此條項が記載せられて居る。
堺市史 第七巻 ((二二六)高橋玄丹)

(二二六)高橋玄丹 【堺妙國寺の住僧】高橋玄丹はもと堺妙國寺の住僧であつた。
堺市史 第七巻 ((二七四)溫故)

(二七四)溫故 【妙國寺法林坊の住僧】溫故は堺妙國寺の塔頭法林坊の住僧で、【中將棊の名手】中將棊の名手
堺市史 第七巻 ((四四)日善)

【妙國寺四世】曾て若狹の妙興寺に住したが、後妙國寺の第四世となつた。
堺市史 第七巻 ((一九)小菅正芳)

(堺御奉行代々記)【墓所】同十一月九日卒去し、妙國寺に葬つた。,より先き、其子猪右衞門政武看護の爲めに來堺したが、父に先だちて、九月十四日享年三十三歳を以て病歿し、妙國寺
堺市史 第七巻 ((一一〇)油屋常悅)

(妙國寺過去帳)
堺市史 第七巻 ((一三)佛人遭難地)

(一三)佛人遭難地 【所在】妙國寺事件の原因となつた佛人遭難地は大濱通堺港南灣戸の東岸附近と云はれてゐる
堺市史 第七巻 ((三二)伊藤博就)

文化十四年十二月九日享年四十七歳を以て歿し、妙國寺先兆の次に葬り、法諱を善成院博就日輝居士といふ。
堺市史 第七巻 ((一八)黑川盛匡)

【墓所】同八年八月五日卒去し、妙國寺に葬つた。
堺市史 第七巻 ((八四)日啓)

【堺の人】堺に生れ、妙國寺の九代日秀の法弟で、幼時關東の中村談林に學び、玄義を講じ、六條談林の講主となつた
堺市史 第七巻 ((二五)月藏寺)

(二五)月藏寺 月藏寺は青陽山と號し、【位置】柳之町東二丁字寺町にあり、日蓮宗妙國寺末で、寺格永聖跡
堺市史 第七巻 ((二九)伊藤信美)

寬政八年十一月十七日享年六十歳を以て歿し、【墓所】妙國寺先兆の次に葬り、法諱を皆成院信美日變居士といふ
堺市史 第七巻 ((一七)仙石政寅)

(文化十年手鑑)【墓所】同年十月五日卒去し、同八日妙國寺に葬つた。
堺市史 第七巻 ((六)土佐藩十一士墓)

(六)土佐藩十一士墓 【所在】明治元年妙國寺事件に坐して割腹した土佐藩十一士の墓は宿屋町東三丁寶珠院内,「鳴呼忠烈碑  泉之妙國寺爲土佐藩十一殉國之地其忠憤義烈既燿于史簡土居翁盛義其死友也  深慨毅魂之不祀或著傳紀作院修墓碣而竭心力者幾乎三十餘年矣子爵谷干城君
堺市史 第七巻 ((五二)日珖)

(己行記)【妙國寺創建】是に於て頂源寺の開山妙國院日祝の院號を取つて妙國寺と稱し、山號を廣普山と號し、,(己行記、佛心歷代師承傳)同十四年三月下旬、豐後國主大友宗麟妙國寺に宿した。,)同十八年五月、番神堂拜殿建立の志を以て頂妙寺に説教し、又神道同一鹹味抄を述作し、文祿二年九月重ねて妙國寺
堺市史 第七巻 ((二二七)土佐光則)

(寶樹寺記錄)增訂古畫備考に妙國寺に墓所があると見えてゐるが明かでない。
堺市史 第七巻 ((四)乾 楯雄)

、訟廷清肅大に先途を囑目せられたが、大阪在任中疾を得て辭職、十三年四月四日享年三十一歳を以て歿し、堺妙國寺
堺市史 第七巻 ((九)北村左吉)

法號を釋齋證といひ、墓碑を妙國寺の塋域に建てた。(北村五良氏報告書)
堺市史 第七巻 ((六一)日通)

【日珖の高弟】妙國寺の開山日珖に師事して宗乘を究め、日曉、日統等と與に、上足に列した。
堺市史 第七巻 ((一三)金光寺址)

元祿二年の境域】元祿二年の堺大繪圖によると宿屋町字寺町にあつて、東は寶珠院、西は本受寺、南は道路を越えて妙國寺
堺市史 第七巻 ((一二九)土佐光吉)

(養樹寺記錄)增訂古畫備考三十三には妙國寺に墓所があるとあるも、所在は明かでない。
堺市史 第七巻 ((一九一)高志羪浩)

(全堺詳志敍)【著書】其他著書として時學鍼焫二册の外に印變三册(大坂名家著述目錄)泉界妙國寺鐵蕉記一册
堺市史 第七巻 ((二七〇)大黑常是)

(妙國寺過去帳)作右衞門は同十三年七月五日歿した。
堺市史 第七巻 ((四〇)伊藤吉左衞門)

(堺史料類纂)【墓所】安政三年二月九日享年五十九歳病歿、妙國寺先塋の次に葬つた。
堺市史 第七巻 ((五一)森 二鳳)

斯くして二十四年一月十二日享年七十四歳を以て材木町妙國寺西門前の寓居に歿した。
堺市史 第七巻 ((五)三好義賢)

(三好別記、日珖筆己行記)妙國寺に構營された石塔に妙國院殿光德實休と鐫刻せられたと傳へてゐるが、(堺鑑中
堺市史 第七巻 ((三)祥雲寺)

荑蕉は舊時妙國寺のものと共に有名であつたが、今は頗る衰へてゐる。
堺市史 第七巻 ((四六)笑嶺宗訢)

卽ち今の妙國寺である。
堺市史 第七巻 (插入圖版目次)

七三 第十七圖版 玄譽木像 (大阪市專修寺所藏)・・・・・・・・七七 第十八圖版 日珖書狀 (堺市妙國寺所藏,・・・・・・・・七五七 第百十七圖版 大谷派本願寺堺別院見取圖・・・・・・・・七五九 第百十八圖版 妙國寺境内實測圖
堺市史 第七巻 ((一)南宗寺)

之は妙國寺にあるものと一對になるものである。ニヂリ口を入れば二疊臺目の濫觴と云はれる席がある。
堺市史続編 第六巻 ([み])

妙見社(富蔵村)   1-1427,4-915 妙光寺(南旅籠町)   2-1108,3-72 妙国寺
堺市史 第七巻 (目次)

・・・・・・・・六六七 (四一)誓源寺・・・・・・・・六六九 第六節 日蓮宗・・・・・・・・六六九 (一)妙國寺,七五二 (三)祥雲寺・・・・・・・・七五四 (四)大谷派本願寺堺別院・・・・・・・・七五八 (五)妙國寺,八九三 (六)日下氏邸榧・・・・・・・・八九三 (七)肥塚氏邸龍眼樹・・・・・・・・八九三 (八)妙國寺蘇鐵
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