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堺市立中央図書館/堺市史

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堺市史 第七巻 ((七七)日利)

【妙顯寺二十世】後江戸谷中の延命院に隱栖し、讀誦唱題を事とし、次で妙顯寺を嗣ぎ、第二十世に上つた。
堺市史 第七巻 ((八四)日啓)

後京都の頂妙寺に遷り、正中山中山寺の輪番に轉じ、又中村の講主となり、【妙顯寺二十三世】終に妙顯寺第二十三代
堺市史 第七巻 ((一九)廢弘經寺)

(一九)廢弘經寺 弘經寺は寂光山と號し、【寺址】寺址は櫛屋町東四丁字寺町にあり、日蓮宗妙顯寺末で、【,【沿革】當寺古くは京都にあつて、二十一箇本寺の一であつたが、永享元年八月日延之を當所に移し、遂に妙顯寺
堺市史 第七巻 ((八六)日慧)

【中村談林の化主】【妙顯寺二十一世】後肥後蓮政寺の住職となり、六條談林(京都)の請に應じて文句を講じ、,紀州感應寺の住職に轉じ、中村談林の化主となり、終に龍華院妙顯寺を嗣いで二十一世に上つた。
堺市史 第七巻 ((六)妙慶寺)

(六)妙慶寺 妙慶寺は榮照山と號し、【位置】新在家町東二丁字石塔側にあり、日蓮宗妙顯寺末、寺格平僧跡,【開基】文龜元年の交日英京都妙顯寺より來つて創建し、(堺鑑中、社寺明細帳)【中興】天正年中、日唱法師中興
堺市史 第七巻 ((六)微妙坊日祐)

(六)微妙坊日祐 【日像の高足】微妙坊日祐は京都妙顯寺の開山日像の高足である。
堺市史 第七巻 ((二)妙光寺)

(二)妙光寺 妙光寺は義弘山と號し、【位置】南旅籠町東三丁字農人町にあり、日蓮宗妙顯寺末、寺格平僧跡
堺市史 第七巻 ((八)妙法寺)

【位置】中之町三丁字寺町にあり、日蓮宗妙顯寺末で、寺格紫金襴跡。,斯くして亦今の御影堂は本山妙顯寺の刹堂を、本堂は同寺の御影堂を移したものである。
堺市史 第七巻 ((二三)精進院日隆)

叔父に妙顯寺日霽の門弟日存、日純の兩僧あり、之を羨み、十歳同鄕の遠成寺に入つて落髮し、十八歳入洛、日霽
堺市史 第七巻 ((二七)本行寺)

(二七)本行寺 本行寺は德修山と號し、【位置】西湊町字中筋にあり、日蓮宗妙顯寺末、寺格素緇跡八等。
堺市史 第七巻 ((三九)日現)

日辰上人傳)其永祿二年六月佐渡の正住院に送つた書翰を見ると、堺妙法寺を瓦葺に替へ、其間の功勞に對し本山妙顯寺
堺市史 第七巻 ((一二)法華寺)

【開山】妙顯寺の住僧で日像の法弟に當る權大僧都法印日輪(始め妙輪と稱し、後日輪に改む、應永四年正月二十七日遷化
堺市史 第七巻 ((五二)日珖)

日珖は此紫衣を、京都の妙顯寺に傳へた。天文二十年南禪寺に禪要を探り、又美濃に遊んだ。,三年九月近江坂本に於て、一七日間晝夜二次の説法をなし、妙顯寺の日教、明智光秀等來聽し光秀は古筆色紙を贈
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