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堺市史 第七巻
((四)三好政長)
天文十五年九月長慶、
宗三
は、遊佐長教と戰ふて克たず、【
宗三
と長慶の不和】終に和を講じた。,元長の子長慶は亡父の仇敵として
宗三
と善からず、やがて兩者の不和となり、細川晴元は
宗三
を援け、長慶は長教,と結んで堺に會し、
宗三
五月三宅城に徙つた。,(善長寺
宗三
位牌)善長寺の堂前に其墓碑がある。,【
宗三
の風流】
宗三
紹鷗に從ふて茶湯を學び、其技を能くした。祕藏の茶器があつて、之を九十九髮といふ。
堺市史 第七巻
((四一)善長寺)
【沿革】三好政勝、父
宗三
の菩提所として創建したもので、天文十八年六月二十四日
宗三
戰死の日を以て開基の日,(社寺明細帳)【松の觀音】觀音堂には
宗三
感得の十一面觀世音菩薩を安置し之を松の觀音と稱した。,永正十三年八月十三日
宗三
戰陣を堺に布き、網道場に宿泊した際感得したものと稱せられ、之を微笑觀音と稱し、
堺市史 第七巻
((八)三好長慶)
十歳の時、父元長顯本寺に自殺し支族三好
宗三
及び松永久秀等の補佐するところとなり、天文八年十七歳にして兵,是より先き、同族
宗三
權を擅にして父元長を攻殺したので、長慶は之を郤けんとし、屢々之を細川晴元に請ふたが,、聽くところとならず、却つて
宗三
を援くるに及び、遂に同十七年十月遊佐長教と謀り、細川氏綱を奉じ同十八年二月堺,に入り、三月
宗三
を伐つて之に克ち、進んで十河一存をして晴元を三宅城に攻めしめ、江口の西を抑へしめ、【三好
宗三
,の攻殺】長慶其東を襲つたので
宗三
支ふる能はずして敗死した。
堺市史 第七巻
((一〇六)剛堂宗健)
(一〇六)剛堂宗健 【大德寺住職】【南宗寺八十五世】宗健字は剛堂、京都の人、法を要道
宗三
に嗣ぎ、文化九年四月大德寺第四百二十七世
堺市史 第七巻
((六)細川晴元)
十八年三月長慶其族政長(入道
宗三
)と相反目し、晴元は
宗三
を援けた。,是に於て長慶は、
宗三
の中島城を攻めて之を走らした。,晴元は纔に逃れて京師に走り、
宗三
は江口に圍まれて遂に自殺した。
堺市史 第七巻
((五)良尊)
(融通念佛
宗三
祖略傳)事後醍醐天皇の叡聞に達し、【至尊の崇信】崇信の餘り後宮及び百僚と共に日課念佛を受,(融通念佛
宗三
祖略傳)
堺市史 第七巻
((一五)環溪密雲)
翌六年大教正に補せられ、【七宗の管長】七宗の管長となり、【禪
宗三
派の管長】又禪
宗三
派の管長に推選せられた
堺市史 第七巻
((五)三好義賢)
六角義賢、細川晴元の二子晴之を擁し、長慶、
宗三
等の奉ずる細川信良に對抗し、永祿四年七月義賢將軍山に出陣
堺市史続編 第六巻
([み])
418 三好恒三郎 3-41,42 三好徳次郎 3-39 三好政康 1-410 三好
宗三
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