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堺市史 第七巻
((二六〇)西 宗眞)
(二六〇)西
宗眞
西
宗眞
通稱九郞兵衞、父を宗源(初代九郞兵衞天正十四年八月二十二日歿)母を妙信(元和五年二月十三日歿,を
宗眞
と改めた。,法號を東漸院
宗眞
日源居士といふ。,東漸院
宗眞
日源居士は卽ち類子、で養光院宗月は其妻である。,【
宗眞
の遺品】同寺には、
宗眞
が家康より受領したと稱する羽織を始め、朱印狀及び其他の書類を所藏して居る。 / (二六〇)西
宗眞
堺市史 第七巻
((一九)西宗眞屋敷址)
(一九)西
宗眞
屋敷址 【所在】西
宗眞
の屋敷は宿屋町東二丁字大黑町北角にあつた。,【ルイスの町】寶永四年堺町繪圖に今日の宿屋町東二丁は當る十間筋をルイスの町と記したのは、
宗眞
の教名ルイス,新間十六間一尺五寸)入十三間(新間十四間五寸)を西すも掛屋敷と記してゐるのは九郞兵衞と同族で、其屋敷
宗眞
屋敷,の一部ではなかつたらうか、殊に
宗眞
屋敷が大黑町にあつたと傳ふるのは(堺史料類纂)此類推を立證するものである,一説に
宗眞
屋敷の建物は南旅籠町大安寺の方丈となつたと云はれてゐる。(老圃歷史) / (一九)西
宗眞
屋敷址
堺市史 第七巻
((二二)本受寺)
(社寺明細帳)當寺は西家の菩提所で、西
宗眞
(るゐす)が德川家康より受領した羽織、海外渡航朱印狀、本多正信呂宋國太守宛,【西家墓碑】墓碑は巨大なる五輪塔で、
宗眞
逆修の爲に建てたものである。,塔には法號東漸院
宗眞
日源居士を始め、父宗源及び母妙喜、
宗眞
の妻養光院宗月、宗月の父永德及び母妙崇、本源院宗玄
堺市史 第七巻
((三)光照寺)
(三)光照寺 【位置】光照寺は寺地町東三丁字寺町にあり、天台
宗眞
盛派西教寺末で、寺格等外九等、由緖不詳
堺市史 第七巻
((五)廢地賢寺)
天台
宗眞
盛派西教寺末で、【中興】天正十六年眞燈之を中興した。
堺市史 第七巻
((四)智禪寺)
(四)智禪寺 智禪寺は圓戒山と號し、【位置】戎之町東四丁字禪通寺筋にあり、天台
宗眞
盛派西教寺末、寺格五等
堺市史 第七巻
((二一八)西 宗齋)
らしく、西家は代々九郞兵衞を通稱とし、宗玄は三代九郞兵衞で、二代九郞兵衞乃ち海外貿易家として知られたる
宗眞
堺市史 第七巻
((一六)眞如庵)
(眞如庵略緣起)【沿革】當庵は比丘尼所としては堺有數の寺院で、寶永元年の交には、壽養、
宗眞
、宗慶、宗普
堺市史 第七巻
((一三九)尾和宗臨)
(尾和宗臨畫像贊)實傳
宗眞
は偈を作り、一山を代表して其死を弔した。
堺市史 第七巻
((一六)梅翁寺址)
には錦町濱筋に西面し周圍東は祠堂屋敷を隔てゝ善教町筋、西は錦町筋を中にして庶人屋敷、會所等、南は表屋
宗眞
宅
堺市史 第七巻
((三五)古嶽宗亘)
建仁寺の喜足噱公に依り、二十三歳春浦宗珉に大德寺に參したが、契機協はざるものがあり、去つて如意菴に實傳
宗眞
堺市史続編 第六巻
([に])
85,167 仁山田池 1-1365 螺 5-131 西氏 1-416,422 西
宗真
堺市史 第七巻
(目次)
二五八)今井道與・・・・・・・・三八六 (二五九)奈良屋道汐・・・・・・・・三八八 (二六〇)西
宗眞
,)小西行長屋敷趾・・・・・・・・八五九 (一八)高三隆達屋敷趾・・・・・・・・八六一 (一九)西
宗眞
屋敷址
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