機関トップ
資料グループ
テキスト一覧
キーワード一覧
堺市立中央図書館/堺市史
トップページ
詳細検索
詳細検索
目録
テキスト
キーワード
その他(トップページ等)
検索条件を追加
目録
テキスト
年表
キーワード一覧
その他(トップページ等)
AND
OR
NOT
年号変換
閉じる
検索結果
: 51件
辞書ファセット
○○○
△△△
10件
20件
50件
100件
(並べ替え)
テキストタイトル(昇順)
テキストタイトル(降順)
ページタイトル(昇順)
ページタイトル(降順)
掲載ページ(昇順)
掲載ページ(降順)
/ 2ページ
堺市史 第七巻
((三)宿院)
(三)
宿院
第百五十三圖版 尾垂(
宿院
町) 第百五十三圖版 尾垂(
宿院
町) 【,【
宿院
公園】
宿院
公園は御旅所境内地を圍繞する四周の地を包括し、【境域】東は活動寫眞常設館電氣館、西は大町東一丁,
宿院
公園となる。,第百五十五圖版
宿院
新舊比較見取圖 第百五十五圖版
宿院
新舊比較見取圖 【元祿頃,從つて之を現在の
宿院
公園及び
宿院
御旅所境内地とは逈に廣大で、飯匙堀、電氣館、卯之日座、
宿院
青物市場等の / (三)
宿院
堺市史 第七巻
((二)魚店(うをんだな))
一は中之町と寺地町の境字山口筋から絹屋町筋迄、他は
宿院
、中兩町の字東六間筋であつた。,從つて今日の魚店は所謂往時の鹽物屋の集團區域に當り、其北端
宿院
御旅所と阪堺軌道
宿院
停留場との間も元祿二年,【尾垂】僅に鹽物町南側に當る
宿院
町二十四番地川崎倉藏氏屋根並は德川時代町屋建築の尾垂樣式を今に傳へてゐる,第百五十二圖版 魚店(
宿院
町宇東六間筋) 第百五十二圖版 魚店(
宿院
町宇東六間筋)
堺市史 第七巻
((四)引接寺址)
し本寺の創建地は右の區域ではなく、應永八年四月二十三日足利義持の御教書に示されてゐる津守國夏寄進の東
宿院
,(開口神社文書)所謂
宿院
とは今の
宿院
御旅所のある地で、今市町とは元祿二年の堺大繪圖にある今日の
宿院
町西一丁字中濱筋,從つて其境域は
宿院
御旅所以西、
宿院
町西一丁以南の地域に當るも、其東西幅は海面が陸地となつた今日さへ猶
宿院
御旅所
堺市史 第七巻
((九)竹中作右衞門屋敷址)
(九)竹中作右衞門屋敷址 【所在】松屋新田の開發者竹中作右衞門屋敷址は
宿院
町西二丁に當つてゐる。,【規模】元祿の堺大繪圖に
宿院
町濱筋西側北角に東面し、表七間半(新間八間七寸五分)入十三間半(新間十四間三尺七寸五分,)の境域を記し、【舊址】現在の
宿院
町西三丁一番地生島嘉久次郞氏住宅に當つてゐる。
堺市史 第七巻
((四)甲神社址)
(堺鑑)神社は後
宿院
に移り、【移轉後の舊址】舊地たる市之町東二丁三十三番地大今喜平氏住宅南境に小祠を祀,(大今喜平氏談) 【移轉地と其變遷】
宿院
移轉後の鎭座地は元祿二年の堺大繪圖には住吉祠官津守氏の掛屋敷内,にあつて今の
宿院
町東一丁消防ポンプ置場となつてゐる。
堺市史 第七巻
((七)今井屋敷址)
(七)今井屋敷址 【所在】今井宗薰の屋敷は
宿院
町東二丁字有樂町にあつた。,元祿二年には當主七郞兵衞の名義となり、東は絹屋町二丁目筋(今の大寺東門筋)西は有樂町筋、南は同筋(今の
宿院
町南筋,)北は住吉神社御旅所
宿院
境内に接した東西二十九間(新間三十一間二尺五寸)南北三十二間(新間三十四間四尺,(元祿二年堺大繪圖、元祿八年改以下各年代改堺手鑑)【舊址】右舊址は
宿院
町東三丁二十四番地より二十五番地
堺市史 第七巻
((三)馬堂址)
は每年六月の住吉御祓祭に神馬の秣を獻じ、南莊より清祓錢を出し、附近を目口筋と云つたが、(全堺詳志)後
宿院
,【舊址】從つて舊地は開口神社北門と
宿院
とにあるべきであるが、今は兩所共に其舊址として確示された場所は分
堺市史 第七巻
((三七)〓 圓意○景佳)
【
宿院
小學教員】明治維新後
宿院
境内に小學校の設立せらるゝに及び、教職に擧げられ、在勤七箇年餘、十四年二月
堺市史 第七巻
((四三)生駒東太)
成業の後、【
宿院
小學長】明治七年四月
宿院
小學長となつた。,近畿諸縣の教育者競ふて來觀し、其方法に倣ふもの多く、
宿院
小學の名聲一時關西を風靡した。
堺市史 第七巻
((八)千利休屋敷址)
(八)千利休屋敷址 【所在】千利休屋敷は
宿院
町西一丁字中濱東側にあつた。,屋敷町は
宿院
今市町と傳へ(堺鑑)今の
宿院
町西一丁字中濱筋に當つてゐる。
堺市史 第七巻
((二九〇)布屋五兵衞)
(二九〇)布屋五兵衞 【
宿院
町の人】布屋五兵衞は
宿院
町に住し、木綿問屋を業とし、諸侯の邸にも出入して
堺市史 第七巻
((一〇一)石橋良叱)
良叱の子に道古あり、道古の子長左衞門に至つて、居を
宿院
に徙した。
堺市史 第七巻
((五)天理教中堺支教會)
(五)天理教中堺支教會 天理教中堺支教會は、【位置】
宿院
町西一丁にあり、天理教堺中教會に屬してゐる。
堺市史 第七巻
((二四一)一林舍李窓)
(一林舍李窓畫像贊)【墓所】
宿院
町西二丁東光寺に墓碑がある。
堺市史 第七巻
((一二〇)竹中作右衞門)
(一二〇)竹中作右衞門 竹中作右衞門は堺
宿院
町濱の人、屋號を松屋と稱した。
堺市史 第七巻
((六)高野堂址)
(一)九間町濱(二)
宿院
町西一丁(三)市之町東五丁である。
堺市史 第七巻
((一〇)調御寺)
(一〇)調御寺 調御寺は泉昌山と號し、【位置】
宿院
町東三丁字寺町にあり、本妙法華宗隆本寺末で、寺格平僧跡
堺市史 第七巻
((一七八)萬代文軌)
を萬代屋久兵衞と云ひ、享保十二年正月出生し、(熊野町專稱寺法名記、梁田忠山氏報告書)中之町に住し、後
宿院
農人町
堺市史 第七巻
((六)長谷寺)
(六)長谷寺 長谷寺は神榮山と號し、【位置】
宿院
町東二丁字寺町にあり、新義眞言宗豐山派本派宗務所直轄
堺市史 第七巻
((二七)常通寺)
堺大觀、諸寺院明細帳)第六世超藏院祐悅(北畠左衞門尉顯條なりと云ふ)當寺に入り、明應五年寺地を今市町(現
宿院
町西一丁
堺市史 第七巻
((一七)仙石政寅)
(堺御奉行代々記)又是歳秋材木町濱及び
宿院
の茶屋をそれ〴〵戎島、乳守等へ移轉せしめた。
堺市史 第七巻
((一七九)由良箕山)
【墓所】顯本寺(現
宿院
町東三丁)に葬り、墓碑を存してゐる。(浪速人傑談上、浪華人物誌卷一)
堺市史 第七巻
((一三)金光寺址)
寺址區域内には寶珠院、大師堂を初め庫裏等の建物があり、明治年間
宿院
町の小學校から移植した、藤も繁茂してゐる
堺市史 第七巻
((七)東光寺)
(七)東光寺 東光寺は瑠璃山と號し、【位置】
宿院
町西二丁字五貫屋筋にあり、眞言宗御室派仁和寺末、寺格三等格院
堺市史 第七巻
((一)堺日本基督教會)
Haworth の兩氏時々來堺して傳道を試みたが、【講義所開設】三十一年十二月傳道師林清吉
宿院
町西四丁
堺市史 第七巻
((四)神明神社)
是に於て
宿院
町布屋源次郞より、同人預地の中東西七間、南北二十九間の敷地の寄附を得、社地を移し、稻荷明神
堺市史 第七巻
((一)廢引接寺)
境域東は
宿院
より西三十七町、北は今市より南三十八町に至る間であつた。
堺市史 第七巻
((五九)應其)
てたところと傳へられ、其後空海の影像を安置し、高野より往來の僧の宿泊に便し、世人之を高野堂と稱したが、其後
宿院
町
堺市史 第七巻
((二)織田長益)
(文化十年手鑑、元祿二年堺大繪圖)地は現
宿院
町東二丁の地域内にあたる。
堺市史 第七巻
((九)阿彌陀寺)
寺傳に云ふ、【沿革】開山見性直空堺旭蓮社に來り、建治二年五月
宿院
町西三丁字濱六間筋南へ入る西側に一宇を
堺市史 第七巻
((一五)枸杞園址)
(息心筆記)畑は所謂庭園で、其西北隅の圖として、息心漫筆に(
宿院
町西二丁米谷甚三郞氏所藏本)園中の圖を
堺市史 第七巻
((四二)日辰)
【堺の宣教】同二十三年四月布教の爲め堺に下り、調御寺(現
宿院
町東三丁)に於て弘通宣教中、他門の信教者二人來聽
堺市史 第七巻
(插入圖版目次)
第百五十一圖版 息心漫談 (堺市米谷甚三郞氏所藏)・・・・・・・・八五八―八五九 第百五十二圖版 魚店 (堺市
宿院
町字東六間,)・・・・・・・・八六八―八六九 第百五十三圖版 尾垂 (堺市
宿院
町河崎氏家屋)・・・・・・・・八六八,―八六九 第百五十四圖版
宿院
[住吉大鳥]兩社頓宮・・・・・・・・八七〇 第百五十五圖版
宿院
新舊比較見取圖
堺市史 第七巻
((一)南宗寺)
となさんとし、高野、比叡の二大刹を始め、箱根、三島等著名なる社寺の繪圖を求めて設計の參考とし、先づ菴を
宿院
,(泉州龍山二師遣藁) 【舊南宗寺の位置】當寺の位置については、泉州龍山二師遺藁には
宿院
の南方に移轉,せられたことを記し、寶山叢書所收烏焉集に據ると、寺地は中之町及び
宿院
町の寺町にあり、開山大林和尚の塔は,所謂宿鷺池、坐雲亭、甘露門、潮信橋、金剛峯、雙峨峯、大仙岩、萬代山、護國廟、
宿院
卽ち是れである。,境内の變遷により、もとの萬代山、
宿院
の兩所を除き、新に翫月橋と功德海とを加へて十九軸とした。
堺市史 第七巻
((一)堺周圍の溝渠)
甲斐町東四丁大町東三丁 3.0 0 0 7.0 5.0 畑、家 2.0 東住吉橋 大町東三丁
宿院
町東二丁,3.0 0 0 6.0 4.0 畑、家 2.0 明治橋
宿院
町中之町中之町 2.0 0,甲斐町西五丁 家 0 14.30 0 家 住吉橋南側 大町西四丁 置場 0 0 空地 阪堺軌道鐵橋
宿院
町西四丁
堺市史 第七巻
((二三二)岡田爲恭)
大德は本名辻本德兵衞と稱し、今市町の西卽ち現在の
宿院
町西二丁(四十九番屋敷、九番地)に肥料、米問屋を業
堺市史 第七巻
((九)顯本寺)
(九)顯本寺 顯本寺は常住山と號し、【位置】
宿院
町東三丁字寺町にあり、日蓮宗八品派本能、本興兩寺末であつたが
堺市史 第七巻
((一)本願寺派堺別院)
同年堂宇を堺縣廳舍に貸與し、同六年二月土地建物を擧げて廳舍用に獻じ、當寺院は三月
宿院
町東二丁字有樂町今井彦次郞所有地
堺市史 第七巻
((八四)千利休)
(和泉名所圖會卷之一)【舊邸】今市町(現
宿院
町西一丁)の利休の舊宅址に椿井があり、利休は茶湯に常用したと
堺市史続編 第六巻
([け])
553 献納金 1-1184 元服 4-88 源平合戦 1-296,298 顕本寺(
宿院
堺市史 第七巻
((一)開口神社)
【兜神社】就中兜神社は
宿院
にあつたのを明治四十一年一月合祀し、【松風神社】松風神社はもと毘沙門堂と稱したが
堺市史 第七巻
((一)開口神社)
合祀し、同じく寺、地町東三丁字内農人町旭蓮社北門内にあつた村社舳松神社(祭神住吉四神)を、四十一年一月
宿院
町東一丁字
宿院
堺市史 第七巻
((四)大濱公園)
ならん事を祈つて勸請し、萬延元年六月堺港北灣戸開鑿と共に現在舊址に移り(神明神社記錄)明治四十一年九月
宿院
堺市史続編 第六巻
(第一編 発展への模索と苦悶)
221 市会財源調査会…223 川岸地売却問題…224 大浜公園問題…225
宿院
市有地売却問題, 公園地払下げ問題…349 行政訴訟の結果…349 払下げ問題の解決…350
宿院
市有地売却問題
堺市史続編 第六巻
([し])
5-1112 夙村 1-446,604 宿 1-351~352,445~447
宿院
市場, 2-529,530
宿院
公園 2-61
宿院
市有地売却問題 2-226,374 宿砂,-604,937 市立自動車学校 3-395 市立14小学校合同校葬 2-619 市立
宿院
集会所
堺市史続編 第六巻
([ち])
,729 超願寺(堺) 5-52,54,58 長久寺(中之町) 2-1107 調御寺(
宿院
町
堺市史 第七巻
((二)菅原神社)
十月の十六日に神主祭祀に勤仕し、六月住吉神社の大祓に、同社神輿の大道筋を通過せずして、遙に道を隔てゝ
宿院
堺市史続編 第六巻
([と])
道顕 1-426 銅剣銅鉾文化圏 1-37 東光学園 3-530,929 東光寺(
宿院
町
堺市史続編 第六巻
([は])
検地帳登録人 1-748 ――村会議規則案 4-996 土師地区 1-1290 長谷寺(
宿院
堺市史続編 第六巻
([こ])
国民融和週間 2-803 国母様 5-620 極楽寺(熊野町) 2-1107 ――(
宿院
/ 2ページ