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堺市史 第七巻
((一)少林寺椋)
(一)
少林寺
椋 【所在】
少林寺
町東三丁
少林寺
境内の椋樹は高さ二丈五尺、周圍目通り一丈餘、樹齡五百年を / (一)
少林寺
椋
堺市史 第七巻
((一一)少林寺)
(一一)
少林寺
少林寺
は萬年山と號し、【位置】
少林寺
町東三丁字寺町にあり、大德寺塔頭黃梅院末、寺格五等,大檀越小林修理亮法諡梅樹院殿重軍小林大居士(長松山禪通寺年鑑)の姓を採つて小林寺と號したが、後菩提達磨の
少林寺
,往時の境域は今の寺地町、
少林寺
町を包擁し、兩町の海濱にまで達したが、織田信長に沒收せられて次第に衰頽し,、(堺鑑中、泉州志卷之一)寺地は終に寺地町と
少林寺
町との新市街に分割せられた。 / (一一)
少林寺
堺市史 第七巻
((四)引接寺址)
(四)引接寺址 【所在】室町時代の名刹引接寺は
少林寺
町東三丁字寺町にあつたが、明治六年中之町東二丁正法寺,に合併せられ、後其舊址は
少林寺
尋常小學校の敷地になつた。,堺大繪圖には樽屋町二丁目にあつて西面し、周圍東は内農人町筋、西は樽屋町筋を隔てゝ共に人家と對し、南は
少林寺
,
少林寺
尋常小學校裏側を東側、同校表門側南端を西南端とした長方形の一劃である。,其大部分は
少林寺
尋常小學校敷地となつてゐるが、北側一帶の人家は元祿當時の舊位置に當つてゐる。
堺市史 第七巻
((一七)指吸匡道)
堺の人、甫めて十三歳、【得度】【參究】大阪高津
少林寺
の月叟に得度し諸方に游方して棠林、行應の二老に參じ,、未だ幾何ならざるに月叟示寂したので、文政二年二十二歳にして
少林寺
に歸住した。,天保六年三十八歳、【兵庫祥福寺住職】攝津兵庫平野祥福寺に入り、爾來二十八年祥福寺の大株、【門下の高足】
少林寺
,【東福寺住職兼同派管長】明治十年洛東東福寺に入り管長を兼ね十五年辭去、
少林寺
に退休し、【妙心寺に入る】
堺市史 第七巻
((二)白藏主竹林)
(二)白藏主竹林 【所在】狂言釣狐の所作に必ず用ゐられる白藏主の竹は
少林寺
町東三丁
少林寺
境内白藏主の,【白藏主の傳説】白藏主の傳説は永德の頃、
少林寺
塔頭耕雲菴の住僧白藏主寺内の稻荷神社を信仰して法施怠らなかつたので
堺市史 第七巻
((一一)桃源宗悟)
【宗然の法嗣】可翁宗然の法を嗣ぎ、命に遵つて、【
少林寺
住職】堺
少林寺
の席を繼いだ。
堺市史 第七巻
((一)廢引接寺)
(一)廢引接寺 引接寺は勅定山と號し、【寺址】寺址は
少林寺
町東三丁字寺町卽ち
少林寺
の北隣にあり、今は,
少林寺
小學校の敷地となつて居る。
堺市史 第七巻
((一八)今池辨天堂址)
(一八)今池辨天堂址 【所在】今池辨天堂は今池の東北隅にあつたが、明治三十九年
少林寺
へ遷座し、小堂は
堺市史 第七巻
((四)久氏舊邸龍眼樹)
(四)久氏舊邸龍眼樹 【所在】寺地町西四丁久氏舊邸(
少林寺
町東三丁和田源三郞氏所有)の龍眼樹は、是亦當地海外渡來植物中
堺市史 第七巻
((四)天理教泉堺支教會)
(四)天理教泉堺支教會 天理教泉堺支教會は、【位置】
少林寺
町西四丁にあり、櫻井大教會五條分教會に屬してゐる
堺市史 第七巻
((三)天理教南堺支教會)
(三)天理教南堺支教會 天理教南堺支教會は、【位置】
少林寺
町東二丁にあり、堺中教會に屬してゐる。
堺市史 第七巻
((六三)茂林宗繁)
【小林庵隱栖】堺小林庵(
少林寺
の前身)に隱栖し、【一生沈默】一生默して、更らに禪道を語らずして歿した。
堺市史 第七巻
((七)光乘寺)
(七)光乘寺 光乘寺は蘆原山と號し、【位置】
少林寺
町西二丁字五貫屋筋蒲鉾町にあり、眞宗本派本願寺末、
堺市史 第七巻
((二六)淨專寺)
(二六)淨專寺 淨專寺は灰谷山と號し、【位置】
少林寺
町東二丁字大工町に所在してゐる。
堺市史 第七巻
((九)禪通寺址)
(九)禪通寺址 【所在】禪通寺は戎之町東四丁にあつたが、明治三十九年
少林寺
町東三丁の
少林寺
へ合併せられた
堺市史 第七巻
((一)久の森)
(一)久の森 【所在】俗間久の森と稱するは
少林寺
町西四丁にある辨天社をいふ。
堺市史 第七巻
((二三一)源 恭義)
嘉永の頃堺
少林寺
町に住み、(沙界人名錄)後南宗寺の塔頭寶光菴に徙り、安政三年十一月五日故あつて自殺した
堺市史 第七巻
((三)古家氏邸白檀樹)
(三)古家氏邸白檀樹 【所在】海外渡來の植物と云はれるものゝ中で
少林寺
町西二丁四番地古家太郞兵衞氏庭園
堺市史 第七巻
((一五)石野範至)
茅溟刺吏鑑)同六年七月朔日卒去、(手鑑、茅溟刺吏鑑には八日に作る (墓表))【墓所】王子飢に火葬し、
少林寺
堺市史 第七巻
((二六)河野佐太郞)
【河野進齋の男】進齋河野鳳渚の男、
少林寺
町に住し、【醫業】名醫の聞えがあつた。
堺市史 第七巻
((一四)廢禪通寺)
、本堂、庫裏、納屋、門及び鎭守堂のみを存し、七百七十五坪の境域を有したが、【廢合】明治三十九年十二月
少林寺
町東三丁
少林寺
堺市史 第七巻
((二九)清川幸齋)
此歳堺病院廢止に際し此地に、一病院なきを歎じ、自ら資を投じて、【醫院の建設】醫院を
少林寺
町に建設した。
堺市史 第七巻
((一)惣會所址)
(一)惣會所址 【所在】德川時代の惣會所址は開口神社境内、菅原神社境内、
少林寺
町東二丁、櫛屋町東二丁,此地は今の
少林寺
町東二丁七番地呉服商川村芳太郞氏住宅、同丁八番地ノ一米穀商吉田音吉氏住宅に相當する。
堺市史 第七巻
((一)堺周圍の溝渠)
1.0 榮泰橋北側 寺地町東二丁 2.0 0 0 6.0 4.5 0 1.0 榮泰橋南側
少林寺
町東二丁,2.0 0 0 6.0 0 0 6.0 百々橋北側
少林寺
町東二丁 2.0 0 0 8.0,5.0 山ノ口橋西側 南半町東一丁 2.0 3.0 置場 7.0 5.0 家 5.0
少林寺
橋東側,南半町字大道 2.0 3.0 置場 7.0 5.0 家 5.0
少林寺
橋西側 南半町字大道,5.00 道 相生橋北側 寺地町西四丁 家 0 15.00 5.00 道 得新橋北側
少林寺
町西五丁
堺市史 第七巻
((一六四)久 吉左衞門)
(久家系圖)【久の森】今
少林寺
町西四丁に綠樹蔚葱たる一境域があり、俗に久の森或は久の辨天と稱し、稻荷社
堺市史 第七巻
((一)開口神社)
は宿院にあつたのを明治四十一年一月合祀し、【松風神社】松風神社はもと毘沙門堂と稱したが明治初年本尊を
少林寺
町東三丁
少林寺
鎭守松風神社
堺市史 第七巻
((八)妙法寺)
、(妙法寺中興之末興隆古老所傳幷日遙現錄及び同裏書)元和兵火に罹り復興の際換地となり、津守領なる今の
少林寺
堺市史続編 第六巻
([し])
,615,616,619,631,787,835,922,3-126,180,918,3-66
少林寺
小学校,,957 定助郷 5-706 正(生)善寺(中之町) 2-1106,5-81 浄専寺(
少林寺
町,303 条里制の遺構 1-154 松林庵(畑村) 1-250,816,822,4-916
少林寺
,(
少林寺
町) 2-1107,4-872
少林寺
橋 3-386 生類あはれみ 5-55
堺市史 第七巻
((一七)百舌鳥耳原中陵)
【御陵參道】舊市街の南端御陵前停留場前から
少林寺
橋を渡り東に通ずる幅員四間、延長千二百間の御陵參道を進
堺市史 第七巻
(插入圖版目次)
八七八―八七九 第百五十九圖版 堺内港圖・・・・・・・・八八〇―八八一 第百六十圖版 白藏主 (堺市
少林寺
境内
堺市史続編 第六巻
([せ])
2-699 三宝青年学校 2-697 商工青年学校 2-930,1052
少林寺
青年学校
堺市史 第七巻
(目次)
・・・・・・・・六二五 (九)廢禪樂寺・・・・・・・・六二八 (一〇)長慶寺・・・・・・・・六二九 (一一)
少林寺
,・・・・・・・・八八九 第四章 天然紀念物・・・・・・・・八九一 第一節 名木・・・・・・・・八九一 (一)
少林寺
椋
堺市史続編 第六巻
([い])
允恭大王 1-77,78 允恭陵 1-49,75,78 印刷屋 5-210 引接寺(
少林寺
町
堺市史続編 第六巻
([こ])
2-934,1046,1072 三宝国民学校 2-652,1046,1072,1116
少林寺
国民学校
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