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堺市史 第七巻
((二九七)惠藤源左衞門)
其頃天神
常樂寺
の塔頭成就坊の什寶を請受け、一噌の教を受け、之を京都の指由に直させて、亂舞の笛に用ひた。,後
常樂寺
の能會に際し此笛を吹奏したが、【名笛瓦落の來由】妙音金堂に響いて、軒の瓦が落ち近衞公は爲めに笛
堺市史 第七巻
((二)菅原神社)
)道眞の神體は、傳へて自作木像の一で、延喜中現北材木町の海濱に漂着したので、民家の傍に之を奉祀し、後
常樂寺
,(
常樂寺
天滿天神緣起、堺北庄
常樂寺
天神之初事)天喜二年宣旨により、石燈並びに永代燈油料を寄進せられ、降,元三大師堂はもと當社別當
常樂寺
の開基慈覺大師の影堂であつた。,(享保五年天神
常樂寺
繪圖)寶曆三年四月吉味主計廣野權現を勸請した。,(老中、城代
常樂寺
巡見記錄) 【別當
常樂寺
】別當
常樂寺
は住吉朴津鄕にあり、天台宗に屬し、仁壽二年慈覺大師
堺市史 第七巻
((二三七)三甁信菴)
(二三七)三甁信菴 【堺の書家】三甁信菴字は鍉藏、堺の書家、天神
常樂寺
(現菅原神社)の傍に卜居して、
堺市史 第七巻
((三四)衆德恩冏)
【常樂梵鐘鑄造の功】天文二年天神
常樂寺
梵鐘鑄造の際、恩冏四方に化緣して淨財を募るに當り、之を聞いて戮力,(舊
常樂寺
鐘銘拓本)恩冏同年六月七日、世壽八十二歳を以て歿した。(淨土列祖傳卷之五)
堺市史 第七巻
((二)菅原神社)
大小路以北の氏神として古來堺天神又は
常樂寺
天神と稱せられた。
常樂寺
は其別當寺であつた。,(天神
常樂寺
繪圖)【連歌所】市杵島姫神社の西南には連歌所が西面して建てられ、後庭を具へてゐる。,稻荷社西方の聚樂館は當社の客殿で、明治三十五年
常樂寺
長堂の用材を利用して建てた南面の桁行十七間三尺三寸
堺市史 第七巻
((一)鹽穴寺)
【舊位置】其境地は鹽穴下條の地にあり、
常樂寺
と號し、又寺地に因んで鹽穴寺とも稱した。
堺市史 第七巻
((一七二)谷 忍齋)
更らに
常樂寺
天滿宮の緣起は、青蓮院宮尊圓法親王の染筆であつたが、これより先き元和の兵燹に罹つて燒失したので
堺市史 第七巻
((八六)今井宗久)
又茶湯の師紹鷗の二十五囘忌、天正七年六月二十九日には鹽穴
常樂寺
内に五層の塔を建てゝ冥福を祈つた。
堺市史続編 第六巻
([て])
――(平岡村) 4-298,841 ――(和田村) 4-1213,1407 天神
常楽寺
,→
常楽寺
(戎之町) 伝世鏡 1-48 伝染病 伝染病 1-1467~1470,2-560
堺市史 第七巻
((一一五)谷善右衞門)
【神佛崇敬】齊泉神佛崇信の志篤く、享保四年に天神
常樂寺
、同六年には念佛寺の神輿を新造した。
堺市史 第七巻
((二三九)松木淡々)
當時門人岸春館佳林立机して、堺に居住し、俳諧月次會を興行して居つたが、各社中發起して每月二十五日堺天神
常樂寺
堺市史 第七巻
((七九)武野紹鷗)
の塔は、今井宗久が其二十五囘忌に當る、天正七年六月、玉仲宗琇の銘文を得、【記念塔】記念の爲めに堺鹽穴
常樂寺
堺市史 第七巻
((一五七)牡丹花肖柏)
【堺の門下】堺の門人の主なるものには、宗珀(伊豫)、等惠(靖齋)、下田屋宗柳(葦竹齋)、空盛(
常樂寺
天神
堺市史 第七巻
((一)南宗寺)
頗る鄭重を極めたが、(絲割符由緖書)後此神石を幕府より日光廟に移すことを命ぜられ、絲割符年寄並に天神
常樂寺
堺市史続編 第六巻
(第四巻)
泉州郷社確定の堺県触 219 17 家原寺文書 220 1 至徳3年12月24日 塩穴
常楽寺
免田注進状
堺市史続編 第六巻
([し])
醸造業 5-745 ――屋 4-540,5-578 昭陽精工(株) 3-751
常楽寺
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