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堺市立中央図書館/堺市史

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堺市史 第七巻 ((九六)譽田屋宗宅)

德隣は茶湯を以て、德川家康に仕へた。
堺市史 第七巻 ((一九)細井正成)

天正十二年二月德川家康に仕へ、文祿元年二月下總葛飾郡内に釆地二百石を給せられた。
堺市史 第七巻 ((四四)日善)

同寺は元和の兵燹に罹り、堂宇烏有に歸したが、德川家康吉例の寺と稱し、其二子義直、賴宣を携へて焚煬の地に
堺市史 第七巻 ((六)今井宗呑)

後父と共に二條城に至り、德川家康に謁したが、秀忠の旨に忤ひ、遂に退去して庶人となつた。
堺市史 第七巻 ((二八一)榎並屋勘左衞門)

【祖先】其祖先は德川家康の岡崎時代より、既に銃器製作の用を勤め、後幕府江戸道三河岸に邸宅を與へ、御用鐵砲鍛冶
堺市史 第七巻 ((二五九)奈良屋道汐)

(二五九)奈良屋道汐 【最初の絲年寄役】奈良屋道汐は慶長九年伏見城に於て、德川家康より絲年寄役を命ぜられた
堺市史 第七巻 ((二二)本受寺)

(社寺明細帳)當寺は西家の菩提所で、西宗眞(るゐす)が德川家康より受領した羽織、海外渡航朱印狀、本多正信呂宋國太守宛
堺市史 第七巻 ((八九)武野宗瓦)

同十六年豐臣秀吉の命に違ひ、伊勢の朝熊寺に居ること年餘、猶ほ秀吉に追はれ、駿府に到り德川家康に憑つた。
堺市史 第七巻 ((四二)吉川惟足)

【家系】祖父廣末は、德川家康に隸して小田原の役に戰死した。
堺市史 第七巻 ((一六四)久 吉左衞門)

大阪冬、夏ノ陣には德川家康其家臣にして、吉左衞門と親近せる小田助四郞を使して密旨を傳へ、重ねて大久保彦左衞門
堺市史 第七巻 ((二七〇)大黑常是)

慶長三年十二月德川家康伏見に銀座開設に際し、【銀貨鑄造の任に當る】常是を召して任に當らしめた。
堺市史 第七巻 ((二)織田長益)

慶長五年德川家康の東征に隨ひ、下野小山に至り、關ヶ原の役に、石田三成の部將橫山喜内の冑首を獲た。
堺市史 第七巻 ((三)山名豐國)

同十四年德川家康上洛の際謁見し、後屢々眷遇を被つた。
堺市史 第七巻 ((一二)長谷川藤廣)

【長崎奉行】慶長八年始めて德川家康に仕へ、同十一年より十九年に至る間長崎奉行を勤め、(寬政重修諸家譜卷第七百九十五
堺市史 第七巻 ((六〇)玄恕)

(旭蓮社緣起)父は山中左衞門義繼、(淨土列祖傳卷之五)始め德川家康の乳母阿智耶局の猶子となり、遠州橫須賀撰要寺
堺市史 第七巻 ((二八〇)芝辻理右衞門)

慶長十六年三月德川家康之を得んと欲し、諸國の鍛冶を集めて、【始めて鐵張の大筒を造る】鐵張の大筒を調進せしめんとし
堺市史 第七巻 ((四)三好政長)

後織田信長に降り、復德川家康に仕へ、寬永八年十二月十日歿した。享年九十六。
堺市史 第七巻 ((一三)喜多見勝忠)

【北條氏の舊臣】【戰功】始め北條氏に仕へ、氏政沒落の後、天正十八年德川家康關東入國の際、召されて家人に
堺市史 第七巻 ((二六〇)西 宗眞)

當時德川家康海外貿易に意あるや、宗眞大村氏の推擧によりて家康に見え、主として呂宋に往復して活動した。
堺市史 第七巻 ((五一)古溪宗陳)

の旨に忤ひ自刄を命ぜられ、【大德寺破壞一件】嘗て利休が大德寺の山門に自己の彫像を安置せる僭越を憤り、德川家康等
堺市史 第七巻 ((七)今井宗薰)

(今井家先祖書、養壽今井家系圖)秀吉の薨後、德川家康の寵遇を受け、慶長四年正月命を受けて、伊達政宗の女
堺市史 第七巻 ((一)良純法親王)

(皇胤紹運錄、系圖綜覽)同十九年十二月親王宣下、二品に敍し、元和年中德川家康の猶子となられ、(皇胤紹運錄
堺市史 第七巻 ((一五)竹田藥師院○昌慶以下歷代)

【圓璡隆品】圓璡隆品は德川家康の時、關東に奉仕し、食祿千石を給せられた。
堺市史 第七巻 ((一)妙國寺)

(明治三十五年寺院提出書類)【將星の宿泊】天正十年五月德川家康は穴山梅雪と堺に來り、家康は當寺に、梅雪,(文化十年手鑑)是より先、文祿年中下總法華寺の日典、本宗の靈寶を散逸せしめた爲に、日珖之を德川家康に訴
堺市史 第七巻 ((八)妙國寺蘇鐵)

(堺史料類纂、妙國寺住職聞書)【妙國】就中大土壇の妙國は親株に當り、德川家康宿泊の際「妙なりや國にさかえるそてつ
堺市史 第七巻 ((五二)日珖)

(己行記、佛心歷代師承傳)【家康來遊】同十年德川家康は穴山梅雪と共に堺に遊歷し、家康は松井友閑宅に館し
堺市史 第七巻 ((一)南宗寺)

塔は所謂德川家康埋葬のところと傳へられてゐるものである。
堺市史続編 第六巻 ([と])

403 徳川家綱   5-295  ――朱印状   5-295 徳川家光朱印状   5-280 徳川家康
堺市史 第七巻 ((一)南宗寺)

寺傳元和元年大阪夏ノ役、德川家康平野に陣したが、敵方の地雷火に襲はれ、身を以て葬輿に乘り、遁れて蕀池に
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