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堺市立中央図書館/堺市史

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堺市史 第七巻 ((二六)極樂寺)

(堺鑑中、泉州志卷之一)【朱印寺領】豐臣秀吉寺領二十石の朱印を寄せ、德川幕府亦之に傚ひ、(朱印狀、代々手鑑
堺市史 第七巻 ((六)高須神社)

祭神は猿田彦命、宇食持命、大宮姫命、(社寺明細帳)社地は櫻之町の鐵砲鍛冶芝辻理右衞門入道道逸、元和元年德川幕府,社寺明細帳)天正四年石田三成堺政所の際、鎭守として勸請したもので、當時社殿壯麗を極め、(堺史料編纂)德川幕府時代
堺市史 第七巻 ((二〇)櫛笥寺)

(略緣起)是より先き、天正十四年七月豐臣秀吉築尾村に於て、【朱印寺領】寺領一石一斗の朱印を寄せ、德川幕府亦舊
堺市史 第七巻 ((二〇)綾堀屋敷址)

(二〇)綾堀屋敷址 德川幕府最初の堺奉行成瀨正成の掛屋敷となつた綾堀屋敷(堺町奉行歷代記錄)は、【所在
堺市史 第七巻 ((二四)經王寺)

(堺南北寺院塔頭之諸出家印鑑帳)【朱印寺領】寺領としては豐臣秀吉踞尾村に二十六石の朱印を寄せ、德川幕府亦之
堺市史 第七巻 ((八)廢向泉寺)

、天王の三社は、尚依然として舊址にあつた(向泉寺緣起)【寺領朱印】豐臣秀吉は寺領九十石の朱印を寄せ、德川幕府亦之
堺市史 第七巻 ((五一)北十萬)

(末寺御改帳)豐臣秀吉は踞尾村にて、【朱印寺領】寺領五十石の朱印を寄せ、德川幕府に至つて永く渝らず、(
堺市史 第七巻 ((一)廢引接寺)

(堺南北寺院塔頭之諸出家印鑑帳)【朱印寺領】豐臣秀吉は寺領十石三斗を寄せ、德川幕府亦之に倣ひ、(代々手鑑
堺市史 第七巻 ((七)堺奉行所址)

【奉行屋敷址】〔奉行屋敷址〕 德川幕府の奉行所は前代の位置を代へず、引續いて東之町に存し、元祿二年の堺大繪圖
堺市史 第七巻 ((二八〇)芝辻理右衞門)

(墓表)爾來代々德川幕府の御用を勤め、稟米七十石、十人扶持を給せられ、子孫職を繼ぎ櫻之町に住して理右衞門
堺市史 第七巻 ((七)海會寺)

これより先き、【朱印寺領】豐臣秀吉は寺領三十石の朱印狀を寄せ、(海會寺記錄)德川幕府亦之に倣つたが、明治四年正月上地
堺市史 第七巻 ((一)大阿彌陀經寺)

(鹽風呂諸役免除朱印狀)寺領及び鹽風呂諸役の免除は德川幕府に至つても渝らなかつた。,勅點彌陀四十八願和歌一卷、勅點添狀三通、秀吉朱印狀一通、同鹽風呂諸役免除朱印狀一通、鹽風呂由緖書一卷、德川幕府朱印狀
堺市史 第七巻 ((一)光明院)

くの如く歷朝の崇信篤く、公武の歸依を聚め、【朱印寺領】豐臣秀吉は築尾村に於て寺領十六石の朱印を寄せ、德川幕府亦舊
堺市史 第七巻 ((一四)廢禪通寺)

永祿十二年三月二日附彈正忠等の禁制狀を傳へ、【朱印寺領】又天正十四年七月豐臣秀吉は朱印狀を以て寺領六十石を寄せ、德川幕府
堺市史 第七巻 ((九)顯本寺)

(顯本寺調査書)【朱印寺領】これより先き、豐臣秀吉は寺領二十七石の朱印を寄せ、德川幕府に至つても舊に倣
堺市史 第七巻 ((三)方違神社)

同三年來當社の別當となり、豐臣氏より封田九十石を寄せられ、德川幕府亦同じかつた。
堺市史 第七巻 ((一)妙國寺)

佛心歷代師承傳、治要錄、堺鑑中、泉州志卷之一)【朱印寺領】寺領として秀吉攝津桑津村に百二十石の朱印を寄せ、德川幕府亦之
堺市史 第七巻 ((一)南宗寺)

を寄せたが、開山堂の建設後間もなく、元和三年八月將軍德川秀忠大鳥郡築尾村に於て百十石の寺領を寄せ、(德川幕府朱印狀,【德川時代末期の狀態】德川幕府末期第八十六世剛堂宗剛以後、卽ち天保頃より明治維新後に亙つては輪番住職の
堺市史 第七巻 ((二)菅原神社)

神輿御幸諸事留帳、輿神渡御願書留)  【領地】神領は豐臣秀吉天正十四年七月二百二十石の朱印を寄せ、德川幕府亦舊
堺市史 第七巻 ((一)開口神社)

(開口神社諸記錄)  【神領地】神領地としては天正十四年七月豐臣秀吉八十石の朱印を寄せ、德川幕府亦舊例
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