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堺市史 第七巻
((九)戎島)
(九)
戎島
【所在】
戎島
は東南二方は内川を隔てゝ車、櫛屋、戎、熊野の諸町に對し、西は北波止に接續し、,【元祿二年の
戎島
舊址】元祿二年堺大繪圖に示された
戎島
の區域を現在と比較すると、大體は内川の西、古川の南,に當り、劇場址は
戎島
二丁三十九番地河中卯平氏住宅の左右が表口に當つてゐる。,清水町は
戎島
三丁の内戎橋筋以北、萬屋町は同町の濱筋を云ふ。,西島町は
戎島
二丁の内大師橋筋に當り、新橋町は
戎島
一丁の内新橋西詰北側、伏見町は
戎島
一丁大師橋筋に位し、 / (九)
戎島
堺市史 第七巻
((三〇七)初代 豐竹嶋太夫)
(三〇七)初代 豐竹嶋太夫 【
戎島
に生る】豐竹嶋太夫は堺の
戎島
に生れ、越前少掾の門に入り、【初代嶋太夫
堺市史 第七巻
((二六)妙圓寺)
(二六)妙圓寺 妙圓寺は法入山と號し、【位置】
戎嶋
四丁字
戎嶋
附洲新田難波屋開にあり、本門法華宗妙蓮寺末
堺市史 第七巻
((二四)一光庵)
(二四)一光庵 一光庵は佛放山又は護臺山と號し、【位置】市之町西四丁字
戎嶋
にあり、もと淨土宗堺北十萬,【沿革】元龜二年大空白寬開創、(一光菴調査書)もと梅香町にあつたが、享保十三年五月公許を得て、
戎嶋
西穀物町海部屋新右衞門
堺市史 第七巻
((一一五)谷善右衞門)
(谷氏德惠傳)【堺港灣修築】同十二年其女壻戎之町布屋次兵衞、
戎島
に防波堤を築き、船舶の入津を容易ならしめんと,同十七年十二月、願によつて、
戎島
附近新田を預地として附與せられ、(
戎島
附洲一件)【帆別錢徵收の許可】元文元年九月,、
戎島
入港の船舶に對し、帆別錢を徵收するの特權を與へられた。,又貴紳の親筆を請得て向泉、常樂兩寺の緣起を再興し、之を兩寺に寄進し、新に
戎島
の預地内に、天神の旅所を設
堺市史 第七巻
((七)事代主神社址)
事代主神社址 【所在】本戎社と俗稱した村社事代主神社は戎之町二丁字桐木町西側中央の畔にあつたが、明治四十年
戎嶋
一丁
堺市史 第七巻
((八)石錢場址)
卽ち最初は
戎島
の西北現在の南海鐵道古川鐵橋附近に置かれ、次いで布屋堀割と共に南方に移轉した。
堺市史 第七巻
((一一九)山本茂平)
【山本新田開發】次いで、明和六年六月未開地と共に之を
戎島
の海部屋甚兵衞に讓渡した。
堺市史 第七巻
((二〇)三宅康哉)
(文化十年手鑑)同年八月より波止の再掘行はれ、文政二年四、五の兩月には、
戎島
新地の砂持が行はれた。
堺市史 第七巻
((一二三)日傭長次郞)
至孝、其病を看護し、或は之を負ふて御堂の勤行に參詣する等奇特の行爲、奉行に聞こえ、元祿六年召出されて、
戎嶋
堺市史 第七巻
((二三)眞枝儀一郞)
十四歳父を喪ひ、母に事へて至孝、【斗々屋に仕ふ】又夙に
戎島
元戎町の米問屋斗々屋(眞木氏)に仕へて忠勤し
堺市史 第七巻
((一五)枸杞園址)
(息心隨筆)日簡鎖事備忘(安政四年八月十八日條)に
戎嶋
の大師橋南詰西方に於て簇々たる枸杞ありと記したのを,併せ考へると、櫛屋町濱側から
戎嶋
の間は此木の生育に適してゐたのであらう。
堺市史 第七巻
((一七)仙石政寅)
(堺御奉行代々記)又是歳秋材木町濱及び宿院の茶屋をそれ〴〵
戎島
、乳守等へ移轉せしめた。
堺市史 第七巻
((一四)廢善法寺)
の龍神尊に祈願せば、土砂退散するよしを傳聞するものがあり、相謀つて善寶寺の住職を聘し、天明六年閏十月
戎嶋
慈眼院
堺市史 第七巻
((二)菅原神社)
斯くして八月三日の祭典より、神輿は北は梅香町に至り、西は
戎嶋
まで渡御することゝなつた。,
戎嶋
では、谷善右衞門の預地を以て行宮に宛てたが、延享二年に至り、其位置を同地伏見町と南嶋町に亙る間の地所,の無格社惠美須神社を、當社
戎嶋
一丁所在の境外飛地末社に遷座合祀した。,(堺史料類纂拾遺)氏地は大小路以北卽ち北莊全部及び、
戎嶋
及び、向陽町の一部に及んで居る。,(社寺明細帳) 【舊惠美須神社】惠美須神社は
戎嶋
一丁字北嶋に鎭祭するところの無格社で、積羽八重事代主大神
堺市史 第七巻
((二)來迎寺)
(來迎寺緣起、堺鑑中)其後此法要は皇子飢又は
戎嶋
に於て施行せらるゝやうになり、(來迎寺文書)明治以後は
堺市史続編 第六巻
([え])
戎公園 3-66,170 戎座 2-468 戎(夷)島 4-390,5-81
戎島
油会所, 1-956
戎嶋
石堤普請 5-269
戎嶋
附洲願之由米 5-270 恵美須社
堺市史 第七巻
((五四)青木秀平)
十月同藩堺邸名代となり廩米二口を給せられ、
戎嶋
紡績所建設並びに同機械据付工事を董督して頗る功績があつた
堺市史 第七巻
((二)菅原神社)
猶神社境外末社には
戎嶋
一丁に事代主神社、三寶村に附島神社がある。
堺市史続編 第六巻
(第五巻)
267 2 享保13年10月 石堤仲間石銭銀徳用割方証文 269 3 享保16年9月
戎嶋
附洲願之由来, 270 4 堺
戎嶋
石堤之記録 275 14 海会寺文書 279 1 元和3年8
堺市史 第七巻
((五七)鳥井駒吉)
駒吉これより先き、【堺精米會社、共同釀造場設立】十六年十月宅德平等と共に堺精米會社を
戎嶋
二丁に設立し、
堺市史続編 第六巻
([み])
2-56,227,263,3-28 宮山古墳 1-60 宮山台 3-572 妙円寺(
戎島
堺市史続編 第六巻
([さ])
391 堺エナメル合名会社 2-19,118,145 ――争議 2-104~106 堺
戎嶋
石堤記録
堺市史 第七巻
(目次)
・・・・・・・・八〇九 (七)鮹市場址・・・・・・・・八一二 (八)石錢場址・・・・・・・・八一二 (九)
戎島
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