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堺市史 第七巻
((三)方違神社)
(三)
方違神社
【位置】
方違神社
は三國ヶ丘町に鎭座し、【祭神】天神地祇、素盞嗚尊、三筒男神、息長足日賣尊,(
方違神社
由緖調査書)明治元年九月車駕東幸に方り、【祈禱】同月一七日間祈禱の命を蒙つた。,(
方違神社
由緖調査書) 【別當向泉寺】別當向泉寺は行基の開創と傳へられ、永正年中兵火後、向井領町卽,(
方違神社
由緖書)例祭は五月三十一日に執行せられ、【例祭粽神事】古來粽の祭とて厄除の神符と埴土の粽を授,【舊向井神社】向井神社は
方違神社
の東南約半町に位し、仁德、履中、反正三天皇、莵道稚郞子、百濟王仁を合祀 / (三)
方違神社
堺市史 第七巻
((三)方違神社)
(三)
方違神社
【所在】鄕社
方違神社
は堺市東方三國ヶ丘町に鎭座し、周圍に小溝を廻し、西南は反正天皇御陵,第百五圖版
方違神社
實測圖 第百五圖版
方違神社
實測圖 / (三)
方違神社
堺市史 第七巻
((一四)水天宮址)
(一四)水天宮址 【所在】無格社水天宮はもと吾妻橋通四丁にあつたが、明治二十八年六月
方違神社
に合祀移轉,したが、(松原武次郞諸事成就扣)明治二十八年税所篤三氏北波止に鐵工場を營まんとして境内を其敷地に充て、
方違神社
,(
方違神社
書類綴)又舊址中央西寄に徑十尺位の小丘があつて榎の古木があり、小丘の前方に井戸があつた。
堺市史 第七巻
((一六)堺王子址)
【舊址諸説】或は
方違神社
(和泉志)王子ヶ上(口碑)を宛て、或は未定のまゝにした地誌もある。,(泉州志)是等諸説中
方違神社
々域が其舊址に非ざる事は既に本編に説かれたるところである。
堺市史 第七巻
((一五)向井神社址)
牛頭天王社等の名を以て呼ばれ、【所在】德川時代櫻の名所として知られた向井神社は三國丘町にあつたが、明治四十年
方違神社
,【舊址】舊址は反正天皇御陵の東
方違神社
の南にあつて、三千六百六十二坪を有する長方形の境域である。,馬場先址の道路を南へ通じ、道路以西は西側同樣に堤防を存し、北側は一帶の田面で、其西端より北へ道路を通じて
方違神社
境内東南隅,
方違神社
へ合祀移轉の頃には境内千六百二十一坪を有し、本社、幣殿、拜殿、神輿庫、社務所及び伊邪那岐、伊邪那美
堺市史 第七巻
((五)如意神社址)
とする如意神社は、【所在】もと市之町東五丁淨土宗阿彌陀寺境内に所在し村社に列せられたが、明治二十六年六月
方違神社
堺市史 第七巻
((八)廢向泉寺)
三國山遍照光院と號し、【寺址】寺址は市之町東五丁字向井領町にあり、寺は舊中筋村大字向井(現三國ヶ丘町)の
方違神社
,(
方違神社
調査書)
堺市史 第七巻
((一七)若松神社址)
【合祀前の狀態】神社は明治十三年の修繕を經(
方違神社
書類)本社桁行一間三尺、梁行一間、境内十八坪となり
堺市史 第七巻
((二二)正木林作)
し知事の許可を得、直に富戸に説いて義捐を募り、前後數千圓の資金を得、【養蠶傳習場創設】十九年三月直に
方違神社
,(正木翁碑)二十八年三月舊養蠶傳習場出身の有志功績を後世に傳へんが爲めに、碑を
方違神社
境内に建て、【偉功碑
堺市史 第七巻
((五七)鳥井駒吉)
一面敬神、崇佛の念深く、事蹟の遺されたものが各地方に存するが、就中堺市内では、開口神社境内には其碑記を、
方違神社
堺市史続編 第六巻
([ほ])
) 4-1370 法蔵寺(別所) 1-221,248,4-1221,1306,1412
方違神社
堺市史 第七巻
(插入圖版目次)
開口神社見取圖・・・・・・・・七一八―七一九 第百四圖版 菅原神社見取圖・・・・・・・・七二三 第百五圖版
方違神社
實測圖
堺市史 第七巻
(目次)
・・・・・・・・五一五 (一)開口神社・・・・・・・・五一五 (二)菅原神社・・・・・・・・五二七 (三)
方違神社
,・・・・・・・・七一七 (一)開口神社・・・・・・・・七一七 (二)菅原神社・・・・・・・・七二二 (三)
方違神社
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