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堺市立中央図書館/堺市史

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堺市史 第七巻 ((三三)最勝寺)

(三三)最勝寺 最勝寺は深廣山と號し、【位置】熊野町東五丁字禪通寺筋にあり、眞宗大谷派本願寺末、寺格准一等別助音地,明應三年攝津住吉郡五箇庄杉本村に圓覺寺を建て、四世道了は顯如に隨ひ石山籠城に功あり、天正十八年大阪天滿に移轉し、慶長三年最勝寺,同年別に一寺を堺北庄に創立し、同じく最勝寺と名づけた。 / (三三)最勝寺
堺市史 第七巻 ((三八)西然寺)

羅漢院と號したが(寺院覺書、堺史料類纂)竺雲に至り本願寺教如に歸し、天正八年教如大阪退去の際には、竺雲最勝寺第四世道了,(最勝寺由緖略記)其後教如坊舍を堺に營むに及び、慶長七年六月羅漢院を深廣寺御坊へ寄附した。
堺市史 第七巻 ((一〇)地賢寺址)

元祿二年堺大繪圖によれば水落町(戎之町東四丁)南側にあつて、東は西向寺、西は智禪寺、南は道路を隔てゝ冣勝寺
堺市史 第七巻 ((二三)大谷派堺別院)

(最勝寺由緖略記)北御坊に對して南御坊の稱あり、【舊寺家】寬永元年の記錄には、寺家に傳久寺、眞福寺、正信寺
堺市史 第七巻 ((四)大谷派本願寺堺別院)

又北庄に建てられた別院の位置も不明であるが、最勝寺由緖略記による時は略々現在の寺域附近であつたと解すべきである
堺市史 第七巻 ((五七)鳥井駒吉)

最勝寺に墓碑がある。
堺市史続編 第六巻 ([さ])

財産   4-22 西性寺(野々井村)   1-250,820,826,4-1214,1408 最勝寺
堺市史 第七巻 (目次)

・・・・・・・・六六〇 (三一)泉然寺・・・・・・・・六六一 (三二)專稱寺・・・・・・・・六六一 (三三)最勝寺
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