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堺市史 第七巻
((一)本願寺派堺別院)
(一)
本願寺
派堺別院
本願寺
派堺別院は信證院と號し、【位置】神明町東二丁にあり、始め樫木屋町にあつたので,、樫木屋御坊と呼ばれ、又大谷派
本願寺
別院卽ち南御坊に對して北御坊の稱がある。,【沿革】寺傳始め足利義氏の第四子祐氏堺に住し、道祐と號し、天台宗を學び、後
本願寺
覺如に歸依して改宗、一寺,(堺御坊御役錄、大谷
本願寺
通記)此時寺地は北庄山の口中町にあつた。,(大谷
本願寺
通記、泉州志卷之一、眞宗寺略緣起)契丹國の詹仲和來つて蓮如の德化に浴したのは此時であつた。 / (一)
本願寺
派堺別院
堺市史 第七巻
((四)大谷派本願寺堺別院)
(四)大谷派
本願寺
堺別院 【所在】大谷派
本願寺
別院は櫛屋町東四丁三番地にあつて羅漢院とも稱した。,第百十七圖版 大谷派
本願寺
堺別院見取圖 第百十七圖版 大谷派
本願寺
堺別院見取圖 / (四)大谷派
本願寺
堺別院
堺市史 第七巻
((六)本派本願寺堺別院)
(六)本派
本願寺
堺別院 【所在】本派
本願寺
堺別院は神明町東二丁三番地にあつて、北御坊の名で知られてゐる,第百十九圖版 本派
本願寺
堺別院見取圖 第百十九圖版 本派
本願寺
堺別院見取圖 右は,脇上壇があり、右脇上壇を祖師殿、左脇上壇を御影堂とし、祖師殿には宗祖親鸞上人の木像を、御影堂には本派
本願寺
歷代 / (六)本派
本願寺
堺別院
堺市史 第七巻
((一四)淨行寺)
(一四)淨行寺 淨行寺は薝蔔林と號し、【位置】神明町東二丁字御坊町にあり、眞宗本派
本願寺
末、寺格本座一等,【沿革】和泉八木城主荻野會部丞、織田信長に所領を沒收せられ、遂に
本願寺
顯如に從ひ、同國泉郡額原村(現大阪府泉南郡八木村大字額原,其弟善性(寬永十四年閏三月二十八日寂)堺に來り、同じく淨行寺と號して、西
本願寺
の掛所卽ち北御坊の境内に
堺市史 第七巻
((三九)眞宗寺)
(三九)眞宗寺 眞宗寺は信證院と號し、【位置】神明町東、二丁字寺町にあり、眞宗大谷派
本願寺
末、寺格五箇寺,【沿革】寺傳によれば足利義氏の四男祐氏堺に來り本源院道祐と號し、天台僧となつたが、
本願寺
覺如に歸し、延元二年三月一寺,(眞宗寺略緣起、大谷
本願寺
通記)覺如も亦當所に下向して、惠心作本尊、自畫灰具左上の影及び自筆の三帖和讚,(眞宗寺略緣起)同三年足利尊氏莊園を寄附し(大谷
本願寺
通記眞宗寺略緣起)二世定慧院道教、三世不斷院道圓,當寺は斯の如く覺如、蓮如、顯如、教如等
本願寺
の歷代と特別の關係があるので、【格式】諸事西
本願寺
掛所(別院
堺市史 第七巻
((三八)西然寺)
(三八)西然寺 西然寺は深廣山と號し、【位置】車之町東四丁字寺町にあり、眞宗大谷派
本願寺
末、寺格別助音地,沿革】明應三年善海律師の開創に係り、眞言宗に屬して羅漢院と號したが(寺院覺書、堺史料類纂)竺雲に至り
本願寺
教如,卽ち東
本願寺
別院の起原である。其際別に今の地を附與せられ、寺號を西然寺と稱した。
堺市史 第七巻
((二五)南通寺)
(二五)南通寺 【位置】南通寺は新在家町西二丁字雪踏屋町にあり、眞宗大谷派
本願寺
末、寺格内陣列座、【,開基】慶長五年了晴の開基で、(
本願寺
下五箇寺與宗旨改帳)【本尊】本尊阿彌陀如來、【堂宇】本堂及び門を具
堺市史 第七巻
((一九)淨因寺)
(一九)淨因寺 淨因寺は錦光山と號し、【位置】錦之町東二丁字寺町にあり、眞宗本派
本願寺
末、寺格永代内陣列座,【沿革】開基尊正は紀伊雜賀の鄕士で名和修理介といひ、
本願寺
顯如鷺森在寺中功勞があり、弟子となつて尊正の
堺市史 第七巻
((二七)道顯)
)道顯 道顯姓は足利、堺眞宗寺第五代、母は原田佐衞門の女である(眞宗寺系圖)文明二年本堂を再建し、
本願寺
蓮如,(大谷
本願寺
通記、堺御坊御役錄、堺鑑中、泉州志卷之一)蓮如此處に僑居して、親ら教行信證、持名鈔並びに六字
堺市史 第七巻
((二四)教蓮寺)
(二四)教蓮寺 教蓮寺は龍德山又は龍松山と號し、【位置】新在家町西二丁字雪踏屋町にあり、眞宗大谷派
本願寺
末,【沿革】文明年中赤松教祐の二男圓教(明應四年三月二日示寂)
本願寺
蓮如に從ひ、堺、下石津、佐野、河内の北新堂
堺市史 第七巻
((四九)尊秀)
堺市九間町東二丁)の第八世で、天文十三年出生し、弘治二年得度した(尊秀表彰狀)元龜二年から天正八年に亙り、石山
本願寺
,【表彰】大正十二年本派
本願寺
立教開宗七百年記念慶讚法要修行に際し、篤く尊秀の功を表彰した。
堺市史 第七巻
((一三)超元寺)
(一三)超元寺 超元寺は俗に二階堂と呼び、【位置】神明町東二丁字寺町にあり、眞宗本派
本願寺
末、寺格飛檐,現大阪府泉北郡五箇莊村大字大豆塚)の住人塚本西川といふ者、眞言宗を奉じて廻國の途に上り、越後柿崎に於て、
本願寺
蓮如
堺市史 第七巻
((一七)萬福寺)
(一七)萬福寺 萬福寺は法林山と號し、【位置】九間町東二丁字寺町にあり、眞宗本派
本願寺
末、寺格上座一等,爾來世襲して興正寺の別院格であつたが、明治八年六月興正寺獨立に際し
本願寺
の所屬となつた。
堺市史 第七巻
((三二)專稱寺)
(三二)專稱寺 專稱寺は海東山と號し、【位置】熊野町東五丁字寺町にあり、眞宗大谷派
本願寺
末、寺格別助音地,【開基】永祿六年二月了晴の開基で(
本願寺
下五箇寺與宗旨改帳)【舊寺址】寺地は北向井領町にあり、現今の極樂寺
堺市史 第七巻
((八)源光寺)
(八)源光寺 源光寺は光明山と號し、【位置】寺地町東三丁字寺町にあり、眞宗本派
本願寺
末、寺格本座一等,一日東福寺虎關を訪ひ、偶々
本願寺
覺如の他力專修の法要を聞いて改宗し、新に念佛弘通の道場を建て、源姓に因,
本願寺
の寂如、法如、文如等亦當寺に來化した。
堺市史 第七巻
((二〇)延長寺)
(二〇)延長寺 延長寺は醍醐山と號し、【位置】西湊町字中筋にあり、眞宗本派
本願寺
末、寺格自安地、【沿革,其後堯英住持職のとき、
本願寺
蓮如に歸依して眞宗に轉じた。
堺市史 第七巻
((一六)松井友閑)
次いで同八年閏三月、信長
本願寺
と和睦の際、目付として
本願寺
の誓紙を受領し、同年八月には佐久間信盛父子に
堺市史 第七巻
((三三)最勝寺)
(三三)最勝寺 最勝寺は深廣山と號し、【位置】熊野町東五丁字禪通寺筋にあり、眞宗大谷派
本願寺
末、寺格准一等別助音地,政道
本願寺
蓮如に歸依して出家し、明應三年攝津住吉郡五箇庄杉本村に圓覺寺を建て、四世道了は顯如に隨ひ石山籠城
堺市史 第七巻
((四〇)淨得寺)
(四〇)淨得寺 淨得寺は大覺山と號し、俗稱海船御堂、【位置】錦之町東二丁字寺町にあり、眞宗大谷派
本願寺
末,其後法性院權大僧都法印了圓(文安四年十一月十三日示寂)
本願寺
存如に歸依し、永享三年二月眞宗に轉じた。,(淨得寺本尊緣起)【支坊】支坊玉龍院は後獨立して同寺の末寺となり、維新後再轉して大谷派
本願寺
末となり、
堺市史 第七巻
((二一)願專寺)
(二一)願專寺 【位置】願專寺は舳松村字鹽穴にあり、眞宗本派
本願寺
末、寺格永代上座二等、創立由緖未詳
堺市史 第七巻
((一一九)滿田紹庵)
【所有の名品】御物名物記にいふ、古昔此家に東山殿御掛物、玉澗筆八景の内漁村夕照の繪があつたが、今は西
本願寺
堺市史 第七巻
((二)願正寺)
(二)願正寺 願正寺は松影山と號し、【位置】南旅籠町二丁字妙光寺町にあり、眞宗本派
本願寺
末、寺格上座二等
堺市史 第七巻
((六)明現寺)
(六)明現寺 明現寺は普賢山と號し、【位置】新在家町西二丁字雪踏屋町にあり、眞宗本派
本願寺
末、寺格内陣列座
堺市史 第七巻
((一〇七)茜屋宗佐)
御物名物記にいふ、趙昌筆花の繪、左は
本願寺
の家士菊屋正齋之を藏し、右は堺茜屋宗佐にあると。
堺市史 第七巻
((七)光乘寺)
(七)光乘寺 光乘寺は蘆原山と號し、【位置】少林寺町西二丁字五貫屋筋蒲鉾町にあり、眞宗本派
本願寺
末、
堺市史 第七巻
((三一)泉然寺)
(三一)泉然寺 泉然寺は向領山と號し、【位置】市之町東六丁字寺町にあり、眞宗大谷派
本願寺
末、格別助音地
堺市史 第七巻
((二六)淨專寺)
眞宗大谷派
本願寺
末、寺格別助音地、【開創】寬永頃圓喜の開創で(堺南北寺庵本末開基宗旨改帳)【本尊】本尊阿彌陀如來
堺市史 第七巻
((二八)長久寺)
(二八)長久寺 長久寺は凌雲山と號し、【位置】中之町東二丁字片原下の町にあり、眞宗大谷派
本願寺
末、寺格別助音地
堺市史 第七巻
((三)廢德成寺)
(三)廢德成寺 【位置】德成寺址は南旅籠町西二丁にあり、眞宗本派
本願寺
末で、【開基】慶長十九年祐善の
堺市史 第七巻
((一五)聞藏寺)
(一五)聞藏寺 【位置】聞藏寺は神明町東二丁字御坊町にあり、眞宗本派
本願寺
末、寺格内陣列座。
堺市史 第七巻
((三四)眞光寺)
(三四)眞光寺 眞光寺は凌西山と號し、【位置】櫛屋町東五丁字内農人町にあり、眞宗大谷派
本願寺
末、寺格助音地
堺市史 第七巻
((三五)善宗寺)
(三五)善宗寺 善宗寺は龍華山と號し、【位置】櫛屋町五丁字内農人町にあり、眞宗大谷派
本願寺
末、寺格准由緖地
堺市史 第七巻
((一五)松山新助)
(一五)松山新助 松山新助は堺の人、始め
本願寺
の番士であつたが、永祿中三好家に仕官した。
堺市史 第七巻
((四)圓龍寺)
(四)圓龍寺 圓龍寺は北向山二階堂と號し、【位置】新在家町東四丁字寺町にあり、眞宗本派
本願寺
末、寺格永代内陣列座
堺市史 第七巻
((一一)善教寺)
(一一)善教寺 善教寺は信解山と號し、【位置】宿屋町東三丁字寺町にあり、眞宗本派
本願寺
末、寺格本座一等
堺市史 第七巻
((一八)淨福寺)
(一八)淨福寺 淨福寺は善久院と號し、【位置】九間町東二丁字寺町にあり、眞宗本派
本願寺
末で、寺格上座一等
堺市史 第七巻
((三〇)圓光寺)
(三〇)圓光寺 圓光寺は紫雲山と號し、【位置】甲斐町東四丁字寺町にあり、眞宗本派
本願寺
末、寺格上座一等
堺市史 第七巻
((三七)念勝寺)
(三七)念勝寺 念勝寺は大覺山と號し、【位置】車之町東四丁字寺町にあり、眞宗大谷派
本願寺
末、寺格別助音地
堺市史 第七巻
((五)善宗寺)
位置】新在家町西一丁字西六間筋にあり、【沿革】もと堺慈光寺末であつたが、(慈光寺國國末寺控)後眞宗本派
本願寺
末
堺市史 第七巻
((二二)明願寺)
(二二)明願寺 【位置】明願寺は舳松村字宮畑にあり、眞宗本派
本願寺
末、寺格本座特別一等。
堺市史 第七巻
((三六)來遊寺)
(三六)來遊寺 來遊寺は正覺山と號し、【位置】車之町東一丁字出屋敷にあり、眞宗大谷派
本願寺
末、寺格飛檐
堺市史 第七巻
((一二)高林寺)
(一二)高林寺 高林寺は冝春山大僊院と號し、【位置】神明町東二丁字寺町にあり、眞宗本派
本願寺
末、寺格本座二等
堺市史 第七巻
((二九)常滿寺)
(二九)常滿寺 常滿寺は鳳雲山と號し、【位置】中之町東三丁字寺町にあり、眞宗大谷派
本願寺
末で、寺格院家
堺市史 第七巻
((二一)藤枝了空)
宗學を大阪專念寺住職、
本願寺
の勸學、玄雄に學び、經史を伊豫の人、森餘山等に受け、【詩文に長ず】詩文に長
堺市史 第七巻
((二三)大谷派堺別院)
)大谷派堺別院 大谷派堺別院は羅漢院と號し、【位置】櫛屋町東四丁字花田口筋にあり、【沿革】天正七年
本願寺
教如紀州下向,庄極樂寺境内及び虛空藏堂の舊地を併せ、東西十間、南北十五間六寸を購ふて一寺創建を企て、慶長十六年(東
本願寺
通記及
堺市史 第七巻
((一五)專妙寺址)
(一五)專妙寺址 【所在】大谷
本願寺
末の專妙寺はもと柳之町東二丁にあつたが、慶應二年正月廢寺となつた
堺市史 第七巻
((九)寶光寺)
(九)寶光寺 寶光寺は普遍山と號し、【位置】中之町東三丁字九艘小路にあり、眞宗本派
本願寺
末で、寺格は
堺市史 第七巻
((二七)常通寺)
常通寺 常通寺は龍泉山と號し、俗に今市御堂と呼ばれ、【位置】寺地町西三丁字紺屋町にあり、眞宗大谷派
本願寺
末
堺市史 第七巻
((三)本源院道祐)
幼にして父を喪ひ、母に從つて堺浦に徙り、薙髮して道祐と號し、始め天台を學び、【覺如の弟子となる】後
本願寺
覺如
堺市史 第七巻
((一七)仙石政寅)
(文化十年手鑑)在任中寬政十年正月、西
本願寺
掛所より出火、其附近を併せ燒いたが、翌十一年二月には再建工事
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