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堺市立中央図書館/堺市史

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堺市史 第七巻 ((五四)澤庵宗彭)

【一凍の印可】一凍の南宗寺に移るに及び參禪し、(東海和尚紀年錄)翌九年八月終に印可を得、印證の語及び澤庵,(東海和尚紀年錄)澤庵山門請疏を製し、(山門疏)五山の高僧皆玆に臨み、一會の化儀甚だ盛大を極めた。,(東海和尚紀年錄)【妙法寺と寺域交換】【復興計畫】其中に堺市街も復興に着手せらるゝやうになつたが、玆に,(東海和尚紀年錄)【自讃畫像】寬永十六年二月谷宗印(正安)は澤庵の肖像を寫して、之に贊を請ふた。,(東海和尚紀年錄)祥雲寺にある澤庵の壽像は、寬永十四年夏大佛師本江左京康音の作である。
堺市史 第七巻 ((四)小出吉英)

(東海和尚紀年錄)【大阪兩役の功】【南宗寺の復興に力む】大阪冬夏兩役には、共に東軍に屬して戰ひ偉功を樹,(東海和尚紀年錄)【墓所】寬文六年三月九日卒去、享年八十歳、法名を潙峰不白雪江院と號し、江戸下谷の廣德寺
堺市史 第七巻 ((五五)文西洞仁)

(東海和尚紀年錄)
堺市史 第七巻 ((一八八)武野安齋)

(祥雲寺略記)【撰述の書】澤庵大和尚行狀を撰述し、東海和尚紀年錄、泉州龍山二師遺藁を編み、慶安四年十二月私資
堺市史 第七巻 ((六〇)春屋宗園)

(紫巖譜略、東海和尚紀年錄)辭世の偈にいふ「蹈二飜天地一、喚レ東作レ西、拄杖拄杖、歸去來兮。」と。
堺市史 第七巻 ((五三)江月宗玩)

(東海和尚紀年錄)既にして同九年平戸城主松浦隆信、正宗院を龍寶の西南に建て開祖とした。,(大梁興宗禪師年譜、東海和尚紀年錄)十四年隆信卒去の際には、法要の爲めに平戸に下つた。
堺市史 第七巻 ((三)山名豐國)

(寬政重修諸家譜卷第七十一)南宗寺澤庵宗彭の父秋葉綱典は、山名氏の舊臣であつた關係から、(東海和尚紀年錄
堺市史 第七巻 ((一六三)谷 正安)

(東海和尚紀年錄)【祥雲寺創剏】卽ち祥雲寺である。
堺市史 第七巻 ((一)南宗寺)

(東海和尚紀年錄)然るに堺市街の復興計畫に當り、妙法寺に配當せられた地域は南方に偏在せるにより、比較的中央,(東海和尚紀年錄)【朱印寺領】寺領は豐臣氏先きに百十石の朱印を寄せたが、開山堂の建設後間もなく、元和三年八月將軍德川秀忠大鳥郡築尾村,(東海和尚紀年錄)紫野の喧齋、大佛工師法橋康知をして木像を造らしめて之を寄進し、天祐紹杲は掛眞料として
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