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堺市史 第七巻
((四〇)淨得寺)
【
松永久秀
の位牌】又住吉屋惣右衞門家の始祖
松永久秀
の位牌あり、妙久寺殿教雪大居士、天正五丁丑歳十月十日
堺市史 第七巻
((八)三好長慶)
十歳の時、父元長顯本寺に自殺し支族三好宗三及び
松永久秀
等の補佐するところとなり、天文八年十七歳にして兵,長慶卽ち七月京師に入り、
松永久秀
を留めて其後を鎭めしめ、次いで攝津に歸つた。,六角義賢は晴元の二子晴之を擁して將軍山に陣し、之に呼應して高政逆擊の報頻に至るを以て、長慶は子義興、
松永久秀
堺市史 第七巻
((二〇七)津田呉一)
【容貌】彼は痘痕面に滿ち、大さ錢貨の如く瞻視非常、譎詐多策、人之を
松永久秀
に比した。
堺市史 第七巻
((一六)松井友閑)
天正五年八月、【友閑の戰歴】
松永久秀
謀反の際には信長友閑に之を諭せしめ、同六年十月荒木村重擧兵せんとするや
堺市史 第七巻
((七)東光寺)
(社寺明細帳)【多聞天像の來由】毘沙門堂安置の丈六多聞天は
松永久秀
志貴城沒落の際、遺臣之を當寺に移して
堺市史 第七巻
((七)安宅冬康)
(安宅冬康書狀)冬康後淡路の須本に居つて、安宅本家を繼いだが、永祿七年五月九日
松永久秀
の爲めに長慶に讒
堺市史 第七巻
((九)三好義繼)
斯くして長慶に代はつて飯盛に居城し、引き續き
松永久秀
を執事とした。
堺市史 第七巻
((八七)山岡宗無)
松永久秀
の庶子である。幼時外戚山岡氏に養はれ、堺に移つて酒造を業とし、高三隆達の女秀を娶つた。
堺市史 第七巻
((六)細川晴元)
長慶
松永久秀
をして火を放つて之を逐はしめ、將軍義藤將軍山に出陣するに及び長慶和を乞ひ、二十一年議成り、,次いで永祿元年長慶及び
松永久秀
等亂を作し、義輝又晴元と坂本に走り、既にして和を議して京師に還り、【晴元
堺市史 第七巻
((五)三好義賢)
義賢、
松永久秀
等の誣言により長慶と隙を生じ剃髮して實休と稱し、又物外軒と號し、厚く陳謝した。
堺市史 第七巻
((一四三)納屋助左衞門)
曾て
松永久秀
其邸に莅み、刀を執つて柱を傷け、盈つれば虧くる災生ずとて、助左衞門を戒めたといふ。
堺市史 第七巻
((八)大安寺)
(社寺明細帳)【傳説】方丈は納屋助左衞門の舊宅を移したと傳へられ、
松永久秀
玆に莅み、壯麗を歎賞したが、
堺市史 第七巻
((四一)大林宗套)
永祿年中
松永久秀
の夫人勝善院殿仙溪宗壽の歿するや、其追福の爲めに山内に一院を建て勝善院といひ、大林を其開山
堺市史 第七巻
((一)南宗寺)
(大林和尚塔銘幷序)次いで永祿年中
松永久秀
は亡婦勝善院殿仙溪宗壽禪尼菩提の爲に勝善院を創建した。,(泉州龍山二師遺藁)斯くして造營殆ど成らんとしたが、三好氏の勢力漸く衰へ、【
松永久秀
の亂入】天正二年三月
松永久秀
堺市史 第七巻
((一)妙國寺)
同行功部分記一册、始問佛乘義一卷、銅鐸一口、傳源賴朝甲山神社へ寄附の内の古銅鈴一口、傳三好之康寄附具足一領櫃附、傳
松永久秀
遺物兜一領
堺市史続編 第六巻
([ま])
38 松永吉之助 1-963 松永四郎右衛門 1-547 松永善之介 1-539
松永久秀
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