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堺市史 第七巻
((一六)梅翁寺址)
(一六)
梅翁寺
址
梅翁寺
は、【所在】錦町西二丁字
梅翁寺
町にあつたが、大正二年大阪市西區九條南通四丁目,【舊址】此起點は往時
梅翁寺
祠堂屋敷の東北隅であつたから、同所より同屋敷東西筋たる六間三尺(新間)西へ立寄,此所より更に西へ
梅翁寺
東西筋たる十間五尺赴いた錦之町北筋に於ける同校西北隅は寺址西北隅となり、其西側なる,幅員二間、南北七間一尺の小路は往時の
梅翁寺
町筋の名殘である。 / (一六)
梅翁寺
址
堺市史 第七巻
((五二)廢梅翁寺)
(五二)廢
梅翁寺
梅翁寺
は旭向山恩光院と號し、【位置】寺址は錦之町西二丁字梅翁町(現錦西小學校所在) / (五二)廢
梅翁寺
堺市史 第七巻
((一二)菅原神社址)
(一二)菅原神社址 【所在】俗に翁天神と稱せられた
梅翁寺
の鎭守菅原神社は錦之町西二丁錦西尋常小學校東北隅,神社は德川時代梅翁神社とも稱したが、明治維新後
梅翁寺
より分離し、菅原神社と改め、村社に列し、境内十坪、,當時の繪圖によるに境内は
梅翁寺
の東にあつて元祿二年の堺大繪圖に見えた
梅翁寺
祠堂屋敷の位置に該當してゐる
堺市史 第七巻
((一二)海船政所址)
【舊址】其舊址は海船の名を字として傳へた櫻之町西方の地のみではなく、
梅翁寺
緣起には櫻之町より二町南である,錦之町にあつた
梅翁寺
も其館址と傳へてゐるから相當に廣汎な區域に跨つてゐたと解すべきである。
堺市史 第七巻
((六)高須神社)
(堺史料類纂拾遺)【社格】同六年三月十三日村社に列し、【合社】同四十年九月錦之町西二丁字
梅翁寺
鎭座の村社菅原神社,【舊菅原神社】菅原神社はもと錦之町西二丁字
梅翁寺
にあつて、翁天滿宮と稱し、恩光院
梅翁寺
別當として奉祀したが,、(翁天滿宮略緣起)慶應四年閏四月二十三日
梅翁寺
と分離し、梅翁神社と稱した。
堺市史 第七巻
((四二)超願寺)
もと
梅翁寺
にあつたものを、同寺の移轉と共に玆に移轉したものである。
堺市史 第七巻
((一一六)吉川俵右衞門)
もと
梅翁寺
に在つたが、同寺退轉後此處に移されたものである。
堺市史 第七巻
(目次)
五九五 (五〇)淨光寺・・・・・・・・五九六 (五一)北十萬・・・・・・・・五九六 (五二)廢
梅翁寺
,七八三 (一四)專修寺址・・・・・・・・七八四 (一五)專妙寺址・・・・・・・・七八四 (一六)
梅翁寺
址
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