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堺市立中央図書館/堺市史

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堺市史 第七巻 ((二〇)正法寺址)

(二〇)正法寺址 【所在】正法寺の遺址は東湊町に存してゐる。,アルミニウム工場の東、新池の西、日本煉瓦會社工場の南、舳松村字南舳松人家の北に當る一劃の田地で、今に正法寺址,正法寺は所謂中之町東三丁にある正法寺の前身地か否かは不明であるが、恐らく同寺であらうと云はれてゐる。,出土品は主として古瓦で、中には鎌倉時代の蓮花模樣疏瓦或は唐草模樣の花瓦の破片等もあり(前田長三郞氏所藏正法寺址出土品,、三宅雄一氏所藏正法寺址出土品)現に同所耕作者は再三古瓦を拾得したといふ。 / (二〇)正法寺址
堺市史 第七巻 ((一五)正法寺)

(一五)正法寺 正法寺は靈龜山と號し、【位置】中之町東三丁字九艘小路にあり、淨土宗西山派禪林寺末、寺格準檀林格,(正法寺略緣起)第十三世策傳日快(寬永十九年正月八日寂)は、紫衣の中興となり又第十六世專空還魯(元祿三年九月二十五日寂,(正法寺歷世譜)【蔡華院】塔頭蔡華院は、もと菴號を稱したが、細屋清心尼及び隱士文益荒廢を惜しみ再建し、,(正法寺蔡華院記)【引接寺併合】明治六年勅定山引接寺を併合した。 / (一五)正法寺
堺市史 第七巻 ((一八)昭空觀冏)

(一八)昭空觀冏 昭空觀冏本姓は岩井氏、【正法寺第三十一世】正法寺第三十一世で、靜堂と號した。,(昭空自碑、正法寺略系譜)
堺市史 第七巻 ((五二)策傳)

(茶人系傳全集)【正法寺十三世】【安樂菴隱栖】堺正法寺の第十三世となり、(正法寺緣起)美濃立政寺に住し
堺市史 第七巻 ((二四四)成安)

(二四四)成安 【正法寺の住僧】成安は堺正法寺(中之町東三丁)の住僧である。法名は詳かでない。
堺市史 第七巻 ((二一)鹽穴寺址)

尤も正法寺遺址中(正法寺遺寺參照)に鹽穴と稱する田地もあるが、其遺物分布區域から推察する時は鹽穴寺址ではなく,、正法寺遺址區域に相當すべきものである。
堺市史 第七巻 ((二六)河野佐太郞)

明治二年八月十五日享年八十一歳を以て歿し、【墓所】正法寺先塋の次に葬り、法諱を養眞齋宗拙と號した。
堺市史 第七巻 ((五)荒神堂址)

(五)荒神堂址 【所在】荒神堂は寺地町東三丁にあつたが、明治初年廢止せられて本尊は中之町東三丁正法寺
堺市史 第七巻 ((三)發光院)

は臺座背面に裸婦の浮彫あり、【具足屋傳來の天道佛】其左右に具足屋〓〓(一子カ)傳來之天道佛と陰刻し、正法寺所藏
堺市史 第七巻 ((四)廢三寶寺)

(堺市史蹟志料)明治の初年廢絶し、(開口神社記錄)寺址は市鄽となり、【所在】石像は今正法寺の境内に遷されて
堺市史 第七巻 ((二)沼田 龍)

ひ、衆醫を招いて、治療の方を盡したが、終に起たず、明治十二年一月二日享年五十四歳を以て歿し、【墓所】正法寺
堺市史 第七巻 ((一八〇)河野鳳渚)

【墓所】文化九年五月二十一日卒去、享年五十一、正法寺(現中之町東三丁)先人の墓側に葬つた。
堺市史 第七巻 ((四)引接寺址)

(四)引接寺址 【所在】室町時代の名刹引接寺は少林寺町東三丁字寺町にあつたが、明治六年中之町東二丁正法寺
堺市史 第七巻 ((一)廢引接寺)

【廢合】維新後寺運衰へ、遂に同六年廢絶し、名目のみ正法寺に合併せらるゝに至つた。(堺史料類纂)
堺市史 第七巻 ((二二)正木林作)

(正木翁碑、正木林作翁偉功碑文)二十七年三月十六日享年六十九歳を以て病歿し、【墓所】正法寺の塋域に葬つた
堺市史続編 第六巻 ([せ])

製礬工場   1-1417 清秀数(備中守)   1-402 清風会(医療法人)   3-937 正法寺
堺市史 第七巻 (目次)

・・・・・・・・五七五 (一三)長德寺・・・・・・・・五七六 (一四)生善寺・・・・・・・・五七六 (一五)正法寺,(一八)今池辨天堂址・・・・・・・・七八七 (一九)高渚寺址・・・・・・・・七八七 (二〇)正法寺址
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