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堺市史 第七巻
((五三)江月宗玩)
(五三)
江月
宗玩 宗玩字は
江月
、缺伸子、懵袋子、赫々子等の自號がある。,是年字を
江月
と稱した。【大德寺住職】十五年十一月大德寺に出生し、第百五十六世となつた。,(大梁興宗禪師年譜) 第四十六圖版
江月
自贊頂相 第四十六圖版
江月
自贊頂相 ,第四十七圖版
江月
書狀 第四十七圖版
江月
書狀 【大通菴創建】是より先き、父宗及 / (五三)
江月
宗玩
堺市史 第七巻
((一三)廢大通庵)
宗及の子
江月
宗玩も亦大に此擧を授けた。,牧羊軒主法眼雪嶺宗松居士、翠眼宗珉(宗松の弟、云也の男)、大通宗達居士(津田宗及の父)、法眼受世宗及居士(津田宗及、
江月
宗玩
堺市史 第七巻
((五九)翠巖宗珉)
卽ち宗松の弟で、大德寺
江月
宗玩の家姪に當つてゐる。,(半井家系圖)【大德寺住職】
江月
に嗣法し、明曆三年三月大德寺第百九十五世となつた。
堺市史 第七巻
((六二)江雪宗立)
の人】【旭蓮社に得度】堺に生れ、始め旭蓮社に入つて剃髮出家し、次いで澤庵に師事すること數年、遂に法を
江月
宗玩,然るに同寺の創立は江雪ではあるが、其師
江月
宗玩を開山の始祖として居ることが、大日本寺院總覽に見えて居る
堺市史 第七巻
((五六)安室宗閑)
(麻野氏系圖)【大德寺住職】後大德寺に登つて、法を
江月
宗玩に嗣ぎ、寬永十九年三月入寺し、第百七十六世となつた
堺市史 第七巻
((二一九)松江宗德)
(茶人系傳全集)隱逸を好み、清巖宗渭と交り深く、雅號は清巖の與ふるところ、
江月
宗玩は「明歷々、露堂々」
堺市史 第七巻
((一三二)半井云也)
】【茶道に通ず】【古今傳授を受く】業餘大德寺の春屋宗園に師事して禪に歸し、更らに澤庵宗彭、玉室宗珀、
江月
宗玩
堺市史 第七巻
((八五)津田宗及)
(八五)津田宗及 津田宗及は宗達の男、通稱を助五郞といひ、【
江月
の父】大德寺第五十六世
江月
宗玩の父である
堺市史 第七巻
((五四)澤庵宗彭)
(日本佛教史之硏究)【澤庵等の抗議】大德寺では、澤庵、玉室宗珀及び
江月
宗玩の三人連署して、幕府に對して,此時
江月
は故あつて免され、澤庵は出羽山の上の土岐山城守賴行に、玉室は陸奧棚倉の内藤信照に預けられた。,【江戸城中の講說】翌年七月
江月
、玉室等と共に城中に召されて宗意を問はれ、應答頗る台意に稱つて、以來屢々城内
堺市史 第七巻
(插入圖版目次)
・・・・・・・・一八七 第四十五圖版 贄 正壽墓表 (堺市南宗寺境内)・・・・・・・・一八九 第四十六圖版
江月
自贊頂相, (京都市龍光院所藏)・・・・・・・・二一五 第四十七圖版
江月
書狀 (堺市南宗寺所藏)・・・・・・・・
堺市史 第七巻
((一)南宗寺)
(澤庵和尚木像胎内朱書銘)【輪番制】澤庵歿後の南宗寺は輪番制實行せられ、
江月
宗玩以下七十有餘世の交替を,(信尋)駕拜謝偈一幅、同和尚筆圓相一幅、同和尚筆與雲英長老偈一幅、同和尚書狀二幅、玉舟和尚書狀一幅、
江月
和尚書狀一幅
堺市史 第七巻
(目次)
・・・・・・・・二一二 (五一)傅譽牛澤・・・・・・・・二一三 (五二)策傳・・・・・・・・二一三 (五三)
江月
宗玩
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