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堺市立中央図書館/堺市史

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堺市史 第七巻 ((三三)傳庵宗器)

(龍寶山大德禪寺世譜)宗亘の後を嗣いで、【南宗庵住持】堺南宗菴の住持となり、(泉州龍山二師遺藁)天文二年三月十一日示寂,(紫巖譜略、泉州龍山二師遺藁、大林和尚塔銘幷序)世壽五十一。(紫巖譜略、龍寶山大德禪寺世譜)
堺市史 第七巻 ((七〇)阿佐井野宗瑞)

累世堺に住して權勢あり、(泉州龍山二師遺藁)宗瑞は殊に女科に精しきを以て名あり、阿佐井野婦人醫と稱せられた,(泉州龍山二師遺藁)【醫書大全刊行】大永八年明版の醫書大全九册を得て飜刻し之を流布した。,(泉州龍山二師遺藁)
堺市史 第七巻 ((八九)武野宗瓦)

(泉州龍山二師遺藁)【堺の出生】天文十九年二月堺に生れ、六歳にして父を喪ひ、三好氏の命によつて、父の跡,(泉州龍山二師遺藁)同十九年八月二十六日享年六十五歳を以て大阪に歿した。法號を光徹宗瓦居士といふ。
堺市史 第七巻 ((七九)武野紹鷗)

(七九)武野紹鷗 武野紹鷗名は仲材、幼名は吉野松菊丸、通稱は新五郞、(泉州龍山二師遺藁、大林和尚塔銘幷序裏書,【家系】(武野家系圖、泉州龍山二師遺藁、茶人系傳全集)武田信光の後裔で、祖父仲清は應仁の亂に戰死し、父信久,泉州龍山二師遺藁)孤兒となつて、四方に流浪し、竟に堺に永住した。,(泉州龍山二師遺藁)一日實隆の和歌大槪序の講説を聞いて深く感ずるところあり、【茶湯に親しむ】遂に專ら茶湯,(南坊錄、堺鑑下)【大林に參禪】又南宗寺に大林和尚に參禪し、(泉州龍山二師遺藁)天文十八年八月一閑の道號
堺市史 第七巻 ((四一)大林宗套)

に際して侍者となり、古嶽が南泉猫兒を斬るの話を擧げ、其問答の答に、心機相通じ、卽ち印可を與へられ、(泉州龍山二師遺藁,幾何ならざるに出でて大德禪寺に住し、古嶽の法嗣で同門の法兄傳庵宗器が、天文二年三月南宗菴に示寂し、(泉州龍山二師遺藁,依つて大林は決心の臍を固め、【大德寺出世】上洛して大德寺に入り、(泉州龍山二師遺藁、大林和尚塔銘)天文五年二月綸旨,(泉州龍山二師遺藁、大林和尚塔銘)然も、【祖塔銘文】其祖塔の銘文は大林の遷化後に至つて猶ほ久しく成らなかつたが
堺市史 第七巻 ((八一)津田宗達)

(泉州龍山二師遺藁)永祿九年八月二日享年六十三歳を以て歿した。法號を大通宗達居士といふ。
堺市史 第七巻 ((一八八)武野安齋)

(祥雲寺略記)【撰述の書】澤庵大和尚行狀を撰述し、東海和尚紀年錄、泉州龍山二師遺藁を編み、慶安四年十二月私資
堺市史 第七巻 ((八)三好長慶)

(泉州龍山二師遺藁)享年四十三。祕喪二年の後、九年六月河内國眞觀寺に葬つた。,(泉州龍山二師遺藁) 第四圖版 三好長慶畫像 第四圖版 三好長慶畫像     第五圖版
堺市史 第七巻 ((七四)谷宗臨)

(泉州龍山二師遺藁)【圓悟の墨蹟】家に圓悟禪師の墨蹟があつた。もと大德寺の塔頭大仙院の什寶であつた。
堺市史 第七巻 ((一)南宗寺)

(泉州龍山二師遺藁)【三好長慶の經營】當時三好長慶深く宗套に歸依し、天文二十一年五月河内飯盛城に在つて,(泉州龍山二師遺藁)【三好神廟】又三好神廟には祖父長輝の靈を祀り、廟内には靈代として武裝乘馬弓箭を持つた,(泉州龍山二師遣藁)  【舊南宗寺の位置】當寺の位置については、泉州龍山二師遺藁には宿院の南方に移轉,是に於て慶讚供養を行ひ(泉州龍山二師遺藁)山を龍興、塔を曹溪、方丈を獅子窟、殿を大雄、書院を正法眼藏、,(泉州龍山二師遺藁)斯くして造營殆ど成らんとしたが、三好氏の勢力漸く衰へ、【松永久秀の亂入】天正二年三月松永久秀
堺市史 第七巻 ((四六)笑嶺宗訢)

(祖心本光禪師行狀(泉州龍山二師遺藁卷之下))永祿元年十月、【大德寺出世】勅を奉じて大德寺第百七世の住持
堺市史 第七巻 ((八五)津田宗及)

(泉州龍山二師遺藁)豐臣秀吉に仕へて三千石を領し、法眼和尚位に敍せられた。
堺市史 第七巻 ((五三)江月宗玩)

(泉州龍山二師遺藁)現熊野町東六丁に其遺址がある。斯くして亦南宗寺第十三世として、其輪番ともなつた。
堺市史 第七巻 ((一)妙國寺)

(泉州龍山二師遺藁)三好之康は當時京都頂妙寺の化主日珖に歸依し、永祿五年堺の別墅東西三町南北五町の地を
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