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堺市史 第七巻
((七)海會寺)
(七)
海會寺
海會寺
は宿松山と號し、【位置】南旅籠町東三丁南宗寺境内にあり、東福寺末、寺格五等地。,寺領とを有し、伽藍整備し、塔頭六院を有したと傳へられ、舊地には有名なる金龍水を殘し、今に甲斐町山口筋を
海會寺
前,これより先き、【朱印寺領】豐臣秀吉は寺領三十石の朱印狀を寄せ、(
海會寺
記錄)德川幕府亦之に倣つたが、明治四年正月上地,第九十六圖版
海會寺
屋敷賣劵 第九十六圖版
海會寺
屋敷賣劵 / (七)
海會寺
堺市史 第七巻
((二)海會寺井)
(二)
海會寺
井
海會寺
井は一に金龍水とも稱せられ、【所在】南旅籠町東三丁
海會寺
に屬し、甲斐町東一丁開口神社表門前字山口筋,【由緒】井名は現在南宗寺境内にある
海會寺
が此附近にあつた頃、同寺の井として掘られた爲に稱せられてゐるのである / (二)
海會寺
井
堺市史 第七巻
((七)乾峰士曇)
(乾峰和尚行狀、本朝高僧傳第三十)元弘二年前太政大臣洞院公賢大檀越となり、【
海會寺
開山】堺に
海會寺
を創建,井は今
海會寺
の舊址開口神社西門の側にあり、金龍井或は
海會寺
井と稱し、堺名井の一に數へられてゐる。
堺市史続編 第六巻
(第五巻)
295 9 (元文2年)
海会寺
祠堂屋敷地借請証文案 296 10 元文3年11月
海会寺
井戸,につき和睦証文 296 11 安永7年正月
海会寺
略由緒 298 12 寛政3年正月
海会寺
境内建物等書上案, 298 13 天保13年12月25日
海会寺
領年貢上納目録 299 14
海会寺
屋敷替地覚, 300 15
海会寺
古昔塔頭覚 301 16
海会寺
祠堂屋敷建家売払届書案 301,17
海会寺
井戸井垣并祠堂地面軒数覚 301 18
海会寺
前町金竜井濫觴覚 302 19
堺市史 第七巻
((三)永福寺井)
(三)永福寺井 一に銀龍水と稱し、
海會寺
井の金龍水と對稱せられた永福寺井は、【所在】市之町東五丁時宗永福寺庫裏内
堺市史 第七巻
((一)南宗寺)
の復興と境内移轉】是等諸塔頭の復興に就いて、最も問題を起したのは
海會寺
であつた。,當時
海會寺
の新地域は東西二十間、南北十四間であつた。,、愈々
海會寺
址へ新寺を創立した。,(南宗寺緖法度、本末雜亂改正記) 【
海會寺
の不服】然るに
海會寺
の客殿は大德寺塔頭天瑞寺の客殿に移され,(本末雜亂改正記、
海會寺
之儀に付江戸願一件幷御裁許狀之寫)斯くして多年の紛紜解決し、
海會寺
は南宗寺境内
堺市史 第七巻
((二〇八)古家梅山)
【墓所】慶應元年八月十二日、享年四十一歳を以て歿し、
海會寺
に葬つた。法號を釋聞信といふ。(墓誌)
堺市史 第七巻
((一六三)谷 正安)
然し新寺の創剏は極めて困難なる事情があつたが、偶々
海會寺
元和の兵燹に罹り、復興に苦めるを察し、澤庵と謀,新寺を建立して、舊寺再興の形式に則らんと欲し、元和元年八月表面判金二十枚、(實は銀八貫六百目)を以て、
海會寺
,、(祥雲寺略記)同二年九月彌々資金を調達し、宗怡、幽庵及び長慶寺宗策連の替地受取證を取り、(永代渡申
海會寺
屋敷之事
堺市史 第七巻
((五四)澤庵宗彭)
【歌才】是歳六月
海會寺
の齋に招かれたが、其頃は弊衣一着を月下に洗滌して乾くを待ち、漸く列席したと云はれてゐる,(南宗寺再興賀書寫)爾來澤庵は更らに諸塔頭の復興と整理とに沒頭し、今の大町東三丁にあつた
海會寺
が、元和,の兵燹に燒失し、其復興に苦しめるを察し、且つ巨豪谷正安が、新寺造營を希望してゐた際とて、正安をして
海會寺
,【
海會寺
移轉】同四年に至つて約の如く、南宗寺の地域内へ
海會寺
を移して、塔頭の一に加へた。,【祥雲寺開山】寬永二年九月十日に彌々替地の請取證書をとり、(海會禪寺由緖略記、祥雲寺略記)
海會寺
址には
堺市史 第七巻
((一)南宗寺)
(古家太郞兵衞氏談)斯くして再び鐘樓所在の廣場へ出づれば、東方に東福寺派の
海會寺
がある。,
海會寺
の南は南宗寺墓地への通路で、通路の南に塔頭天慶院がある。,實相庵實測圖 第百十一圖版 實相庵實測圖 【南宗寺墓地】南宗寺墓地は天慶院及び
海會寺
堺市史 第七巻
((五一)古溪宗陳)
後南宗寺第五世となり、(南宗寺歷世年譜)天正十三年三月秀吉紀州の根來寺を征し、傳法院を破毀して之を堺に移し、
海會寺
堺市史 第七巻
((一二)祥雲寺)
德川時代の初、豪商谷正安澤庵宗彭に歸依して、一寺を創建せんとし、偶々元和兵燹の後、澤庵南宗寺復興の際、
海會寺
堺市史 第七巻
(插入圖版目次)
一 第九十五圖版 南宗寺地割圖 (堺市南宗寺所藏)・・・・・・・・六〇六―六〇七 第九十六圖版
海會寺
屋敷賣劵
堺市史 第七巻
((一)開口神社)
(三村宮唐櫃寄進狀)其他舊領
海會寺
前卽ち當寺西門前の屋敷地は、應永十五年七月舊知に復せられ、官領衆並に
堺市史 第七巻
(目次)
・・・・・・・・六二一 (五)本源院・・・・・・・・六二二 (六)廢集雲菴・・・・・・・・六二二 (七)
海會寺
,八八一 第五節 名井及名井址・・・・・・・・八八二 (一)妙光寺井・・・・・・・・八八二 (二)
海會寺
井
堺市史続編 第六巻
([か])
カーバイト 3-14 快意(家原寺久蔵院) 4-348,356
海会寺
(南旅籠町) 1
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