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堺市立中央図書館/堺市史

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堺市史 第七巻 ((五八)清巖宗渭)

(五八)清巖宗渭 宗渭字は清巖、自ら自笑子、又孤陋子と號した。,慶安二年松江宗安が、其母德泉の追福の爲めに建てたもので、(松江宗安墓誌)方丈の扁額、德泉菴の三大文字は卽ち清巖,又臨江菴は寬文中今井兼續の創建になり、(今井家之硏究)清巖を招請して開山としたものである。,(紫巖譜略、龍寶山大德禪寺世譜、龍寶山祖師傳卷五)清巖は少壯より、書をよくし、老境彌々妙趣に達し、虛堂,(工畫便覽、續本朝畫史卷下)清巖曾て自畫の如意に贊して曰ふ、「丿貫が丿、利休が利、かゆいところへ手のとゞくまで / (五八)清巖宗渭
堺市史 第七巻 ((二一九)松江宗德)

(茶人系傳全集)隱逸を好み、清巖宗渭と交り深く、雅號は清巖の與ふるところ、江月宗玩は「明歷々、露堂々」,宗德曾て清巖の句、「渴來茶、餓來飯」と、「承應二年自笑書」の十三字を、釜の表面に鑄出せんとし、鑄物師信濃
堺市史 第七巻 ((三)德泉菴)

【開基と開山】慶安元年松江宗安、母德泉追福の爲に創建し、清巖宗渭を請して開祖とした。,(社寺明細帳)【什寶】什寶に開祖清巖木像一軀、同自贊頂相一幅、禪樂寺重興開山天倫木像一軀、大心木像一軀等
堺市史 第七巻 ((一六五)具足屋宗專)

(高木家譜略)【茶道に通ず】【交友】宗專茶湯に通じ、(數寄者名匠集)南宗寺の塔頭德泉菴の開山清巖宗渭とは,、特に親交があり、(宗專、清巖贈答書翰)參禪したものゝ如く、彼の木像の同菴に安置せらるゝのにも其一面を
堺市史 第七巻 ((六七)實堂宗傳)

近江の人、法を清巖宗渭に嗣ぎ、寬文二年三月大德寺に入り、第二百二世となつた。
堺市史 第七巻 ((一〇)今井兼續)

【臨光菴創剏】又南宗寺内に臨光菴を創立し、清巖宗渭を請して開祖とし、承應三年同菴に於て、武野紹鷗の一百年忌
堺市史 第七巻 ((二六一)松江宗安)

宗安資性孝順、佛教を信じ、母氏の冥福を祈り、慶安元年功德場を南宗寺内に建て德泉菴と號し、紫野大德寺の清巖宗渭
堺市史 第七巻 ((二六二)中村家久)

(漏月菴墨蹟内外箱蓋裏書、漏月菴墨蹟添狀)【南宗寺の山門を建立す】而して亦、清巖宗渭南宗寺經營の際、家久之
堺市史 第七巻 ((一)南宗寺)

に奪はれ、寺領も亦南宗寺に於て處分し、朱印狀を始めとし、開山の法衣、念珠、過去帳等に至るまで、澤庵と清巖,(南宗寺歷世年譜)  【清巖復興に努む】清巖宗渭は當寺内に德泉菴及び臨光庵を開き(松江宗安墓誌)又正保四年六月海部屋甚右衞門,潮信橋(山 門 前)  清巖    翫月橋(總 門 前)  實堂    金剛峰(金 剛 山)  實堂,    雙峨峰(二 上 嶽)  江雪  大仙嶺(仁 德 帝 陵)  清巖    放生池(鎭 守 祠 前, 門(甘 露 門)  玉舟    鐘 樓(坐 雲 亭)  天室    佛 殿(大 雄 寶 殿)  清巖
堺市史 第七巻 ((二)臨江菴)

(元祿二年堺大繪圖)【開基と開山】寬文年間今井彦右衞門兼續の創立で、清巖宗渭が開山である。
堺市史 第七巻 ((七)海會寺)

(諸事文見記)時の住職は清巖宗渭で、看坊の幽庵は澤庵の門人であつた關係から、當時澤庵の南宗寺復興に際し
堺市史 第七巻 ((七四)天倫宗忽)

(法鑑禪師年譜)【剃度】十二歳、紫野の清巖宗渭に就いて剃髮し、侍童となつて書を學び、久しからずして群籍
堺市史 第七巻 (目次)

二三〇 (五六)安室宗閑・・・・・・・・二三一 (五七)梵譽觀靈・・・・・・・・二三一 (五八)清巖宗渭
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