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堺市立中央図書館/堺市史

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堺市史 第七巻 ((五四)澤庵宗彭)

(五四)澤庵宗彭 宗彭字は澤庵、春翁、冥之、東海暮翁、無名氏、又玄等の數號がある。,であつた海會寺の如きがあることゝて、澤庵は南宗寺の將來を憂ひ、元和五年五月澤庵在世中は獨住地とし、歿後,(日本佛教史之硏究)【澤庵等の抗議】大德寺では、澤庵、玉室宗珀及び江月宗玩の三人連署して、幕府に對して,、理氣差別論、茶器詠歌集、澤庵和尚和泉百首、澤庵和尚歌集、泉南寓記等がある。,第五十圖版 澤庵圓相 第五十圖版 澤庵圓相 / (五四)澤庵宗彭
堺市史 第七巻 ((二九五)麻野彌藏)

(澤庵和尚鼓の贊)喜多七太夫と會する每に能く謠の相手となつた。,(麻野家系圖)【澤庵其技術に感ず】元和五年澤庵宗彭も亦一日妙音を聞き、絶妙の技に感じ、讚偈及び一文を草,(澤庵和尚鼓の贊)元和九年正月二十四日歿した。法號を釋宗位といふ。,(淨得寺過去帳) 第八十圖版 澤庵鼓之文 第八十圖版 澤庵鼓之文
堺市史 第七巻 ((五五)文西洞仁)

從學するもの甚だ多く、【文西と澤庵】慶長六年澤庵宗彭の堺に來るや、亦文西に就いて硏參した。,澤庵の筆蹟は卽ち文西の流に出でたものである。,斯くして文西終焉の期に臨み、典籍を擧げて、澤庵に附與した。慶長九年八月二十五日大安寺に於て示寂した。
堺市史 第七巻 ((一八八)武野安齋)

(武野家系圖)【澤庵に近侍す】幼にして出家し、朝藏主と稱して澤庵宗彭に近侍すること多年、法諱を宗朝と號,(祥雲寺略記)【撰述の書】澤庵大和尚行狀を撰述し、東海和尚紀年錄、泉州龍山二師遺藁を編み、慶安四年十二月私資,を投じて、澤庵の爲に祥雲寺に寂然塔を建てた。,(澤庵禪師寂然塔銘)【大林和尚塔牌の寄進】又承應三年祖父紹鷗の一百年遠忌に當り、南宗寺の寺僧と相謀り、
堺市史 第七巻 ((一二)祥雲寺)

【沿革】德川時代の初、豪商谷正安澤庵宗彭に歸依して、一寺を創建せんとし、偶々元和兵燹の後、澤庵南宗寺復興,し、【寛永の落慶】同五年に至る間、方丈、庫裏、玄關、文庫、衆寮、浴室、東司等を落慶し、瑞泉寺と號し、澤庵,偶々澤庵同六年七月罪を得て配流せられたので、同十一年赦免歸山を待ち、九月落慶供養の式を擧げた。,(澤庵書狀、祥雲寺住持職次第、祥雲寺略記)【澤庵歿後の住職】斯して澤庵寂後住職を缺くこと十三年、後天祐紹杲,(社寺明細帳)【什寶】【國寶澤庵自賛畫像】【同釋迦二聲聞像】什寶中澤庵自贊畫像一幅は明治四十一年四月土佐光長筆絹本着色釋迦二聲聞像一幅
堺市史 第七巻 ((四)小出吉英)

(寬政重修諸家譜卷第九百二十五)【澤庵に歸依す】吉英深く澤庵宗彭に歸依し、同年二月父吉政の卒去に際し、,弟吉親と共に、乞ふて佛事を修し、其贈るところの嚫金を以て澤庵は南宗寺の鐘樓を建立した。,大阪冬夏兩役には、共に東軍に屬して戰ひ偉功を樹て、役後兵火に累せられた南宗寺の復興に當つては、元和二年二月澤庵,(寬政重修諸家譜卷第九百二十五)【座右の銘】寬永十九年澤庵、上中下三字の解並びに圖を作つて之を貽り、吉英
堺市史 第七巻 ((三一五)肖椎寺隱士)

寬永の初年迄京都に居つたが、爾來泉南に閑居し、【澤庵と交る】澤庵宗彭と相知り、深く交つた。,澤庵羽前上ノ山に配流の際は遠く之を謫居に訪ひ、且棉衣等の數點を贈つた。歿年、世壽等は詳かでない。
堺市史 第七巻 ((一三三)藤井道庵)

【澤庵に参ず】其名泉南に振ひ、又澤庵宗彭に參し、德行を以て稱せられた。寬永頃の人である。
堺市史 第七巻 ((六三)天祐紹杲)

(龍寶山大德禪寺世譜)澤庵同十五年九月原人論を仙洞に進講して、御物を賜はつた際、一絲等と共に、賀辭を呈,入山の歳時は明かでないが、同寺の昭堂に安置せる、澤庵和尚木像の胎内朱書銘を作り、末文に正保第三歳舍丙辰孟秋月如意珠日住山比丘天祐叟紹杲盥手焚香拜書,(澤庵和尚木像胎内朱書銘)後更らに祥雲寺第二世の住職となつた。
堺市史 第七巻 ((二二五)伊丹屋宗不)

(文化十年手鑑)【小堀政一の門人】【茶室】茶湯を小堀政一に受け(茶人系傳全集)澤庵、新屋四郞左衞門(宗不書狀,(數寄者名匠集、南宗寺諸法度)澤庵肖像に題して「或時成主或時賓、賓主不離只个人、六十餘年一三昧、茶神若有是茶神,、」と澤庵の示寂に先だちて、享齡六十五歳を以て歿した。
堺市史 第七巻 ((一六三)谷 正安)

(數寄者名匠集)【新寺開創の意圖】正安深く澤庵宗彭に歸依し、一寺を創建して開山に招請せんと欲した。,然し新寺の創剏は極めて困難なる事情があつたが、偶々海會寺元和の兵燹に罹り、復興に苦めるを察し、澤庵と謀,同十一年九月澤庵を請して落慶式を擧げ、乞ふて第一祖とした。,之を寺有とすべき事、親類緣者たりと雖、寺内に居住せざる事、それ等の者を同寺の住職たらしめざる事、萬事澤庵,又同年六月澤庵に銀百枚を贈つて生前の好意を謝し、且祥雲寺の維持、後住、什物等に關して、意見を縷述した遺書
堺市史 第七巻 ((五)小出吉親)

(寬政重修諸家譜卷第九百二十七)【澤庵に參禪】兄吉英と共に早くより澤庵宗彭に參禪して大に得るところがあつた
堺市史 第七巻 ((一)南宗寺)

(一凍和尚行實宗寺歷世年譜)【澤庵と小出氏】次いで澤庵宗彭は慶長十二年八月第十二世住職となり、朝野の信仰,【大阪役後の復興】既にして大阪役後、澤庵燒跡を視察し、十一月聚光院に歸つて笑嶺和尚の三十三囘忌を修し、,既にして再興粗々成るや、【塔頭の復興整理】澤庵は更らに諸塔頭の復興と整理とに力めたが、勝善菴、厚德菴及,爾後澤庵の年月の忌齋及び諸般の佛事は、總て始祖大林和尚同樣に扱つた。,(澤庵和尚木像胎内朱書銘)【輪番制】澤庵歿後の南宗寺は輪番制實行せられ、江月宗玩以下七十有餘世の交替を
堺市史 第七巻 ((一三五)曾我二直庵)

往々澤庵の贊あるものがある。
堺市史 第七巻 ((五七)一凍紹滴)

後、法嗣澤庵の弟子玄策、長慶寺を再興し、澤庵の命により、紹滴を以て其開山とした。
堺市史 第七巻 ((一三一)竹田圓玖)

澤庵宗彭に參し、石林と稱した。人と爲り溫容、其術を受くるものが頗る多かつた。
堺市史 第七巻 ((七)海會寺)

(諸事文見記)時の住職は清巖宗渭で、看坊の幽庵は澤庵の門人であつた關係から、當時澤庵の南宗寺復興に際し
堺市史 第七巻 ((一三)喜多見勝忠)

(明暗雙々集卷之九)【南宗寺復興】此間澤庵宗彭を援けて、南宗寺の復興に努力した。,碑は卒去の翌年三月二十六日に、澤庵の選文で建設せられたものである。
堺市史 第七巻 ((六)廢集雲菴)

(南坊錄)元和の兵燹に燒失し、(堺市史蹟志料)澤庵南宗寺復興の際、塔頭の一に加へられ、外門の東北隅に移
堺市史 第七巻 ((一〇)長慶寺)

長慶寺は萬年山と號し、【位置】新在家町東三丁字十萬小路にあり、大德寺末で、寺格三等地、【沿革】寬永六年澤庵
堺市史 第七巻 ((二〇)橋本峩山)

(峩山禪師言行錄)次いで、翌々二十六年九月同寺に澤庵の二百五十囘遠忌を營み、(澤庵和二百五十囘忌短册)
堺市史 第七巻 ((一三二)半井云也)

【禪要に觸る】【茶道に通ず】【古今傳授を受く】業餘大德寺の春屋宗園に師事して禪に歸し、更らに澤庵宗彭、
堺市史 第七巻 ((八九)武野宗瓦)

(武野家系圖)澤庵は其畫像に「憶芳江南鷗鷺前、官情世味共休歇、半升鐺内煮二山川一、方寸胸中入二湖海一。
堺市史 第七巻 ((五三)江月宗玩)

(大梁興宗禪師年譜)【大德寺出世事件】同六年澤庵及び玉室と共に、大德寺出生を舊に復せん事を謀り、幕規に,(大梁興宗禪師年譜)十三年七月將軍家光、宗玩、澤庵、玉室を城内に召して宗義を下問した。
堺市史 第七巻 ((六二)江雪宗立)

紫巖譜略、龍寶山大德禪寺世譜)【堺の人】【旭蓮社に得度】堺に生れ、始め旭蓮社に入つて剃髮出家し、次いで澤庵
堺市史 第七巻 ((三)山名豐國)

(寬政重修諸家譜卷第七十一)南宗寺澤庵宗彭の父秋葉綱典は、山名氏の舊臣であつた關係から、(東海和尚紀年錄
堺市史 第七巻 ((五八)清巖宗渭)

を用ひ、正保四年六月中村家久の喜捨によつて、山門卽ち甘露門を造營した(南宗寺山門棟札)【東海寺初住】澤庵
堺市史 第七巻 ((三)祥雲寺)

堂は一名昭堂と云ひ、西面の桁行五間、内部は正面中央に當寺開山澤庵和尚、右側に古鏡禪師の各木像を、左側に
堺市史 第七巻 ((一)南宗寺)

内部は瓦敷、正面壇上の中央に開山大林和尚、右方に中興開山澤庵和尚、左方に毘沙門天の木像を安置し、堂内左方,碑石に記した銘文は剝落して判讀しかねるが、明庵雙々集によれば、當寺に於て勝重と親交のあつた澤庵が其略歷
堺市史 第七巻 (插入圖版目次)

第四十八圖版 皇朝類苑[○卷首、 卷末] (堺市祥雲寺所藏)・・・・・・・・二二六 第四十九圖版 澤庵書狀, (堺市大西五一郞氏所藏)・・・・・・・・二二八 第五十圖版 澤庵圓相 (堺市南宗寺所藏)・・・・・・・・,第七十九圖版 柳 彌助細工人形引札 (堺市粥川八郞氏所藏)・・・・・・・・四〇八 第八十圖版 澤庵鼓之文
堺市史 第七巻 ((七四)天倫宗忽)

是歳十二月祥雲寺に開山澤庵和尚の三十三囘忌法要を修するに方り、外護者幷に耆舊等の請によつて、導師となつた
堺市史続編 第六巻 (第五巻)

   390 2 寛永18年4月 祥雲寺々僧中宛谷宗印書置   392 3 寛永18年6月朔日 沢庵和尚宛谷宗印書置,親類宛谷宗印書置   399 5 慶安5年7月8日 谷宗印書置封之人数覚   407 6 6月18日 沢庵宗彭書状
堺市史続編 第六巻 ([た])

343,350,352,377,379,380,462,3-30,43,44,45,48,49,61 沢庵宗彭
堺市史 第七巻 (目次)

・・・・・・・・二一三 (五二)策傳・・・・・・・・二一三 (五三)江月宗玩・・・・・・・・二一四 (五四)澤庵宗彭
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