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堺市立中央図書館/堺市史

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堺市史 第七巻 ((六〇)玄恕)

(六〇)玄恕 玄恕諱は魯洞、一に聖譽と號した。,【撰要寺住職】慶長十七年德譽は、幕命により、京都百萬遍智恩寺に轉住するに及び、玄恕後を襲ふて、撰要寺の,(常蓮社然譽編玄恕師略傳)【入寺の際の決意】始め入院に際し、開山像に誓つて曰ふ、吾當寺に有緣の者ならば,を免れし事、大阪の商人が紀州に赴く途中盜難を免れし事、又同寺の附近に住する豆腐屋夫妻を感化した事等、玄恕,【永春院創建】玄恕其母永春尼の爲めに、境内に常修不斷念佛の一宇を構へ、之を永春院と號した。 / (六〇)玄恕
堺市史 第七巻 ((八二)便譽)

(八二)便譽 【玄恕の孫弟】便譽諱は卽同、江戸增上寺に入つて得度した。,卽ち玄恕の孫弟で、大恩寺光譽の法嗣である。,【旭蓮社二十二世】時に同寺には住持なく、便譽の玄恕法孫たるを聞き、山内の衆僧住職たらんことを請ひ、遂に
堺市史 第七巻 ((一)大阿彌陀經寺)

宏大壯麗を極めた古刹であつたが、第十八世傳譽在職中、元和の兵燹に罹り、寺連一時衰退したが第十九世聖譽玄恕復興,正德四年十二月玄恕の五十囘忌に當り、京都百萬遍知恩寺の第三十三世然譽遺德を追慕し、玄恕傳一篇を草して之,【舊新本尊】本尊は古來安阿彌作立像三尺一寸の阿彌陀如來を安置したが、第十九世玄恕京都堀河の佛工定安をして,(旭蓮社緣起)和泉名所圖會に據ると、當時祖師堂、圓光大師舊跡二十五箇所、玄恕上人廟、佛還上人塚、毘沙門堂,、古梅(玄恕上人の愛樹)、蓮池、舳松神廟等がある。
堺市史 第七巻 ((九四)成譽蓮阿)

【旭蓮社緣起選述】其後、曩きに寬保二年三月第十九世聖譽玄恕闢くところの、所謂常修不斷念佛三萬日の囘向を
堺市史 第七巻 (目次)

二三一 (五八)清巖宗渭・・・・・・・・二三二 (五九)翠巖宗珉・・・・・・・・二三三 (六〇)玄恕
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