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堺市立中央図書館/堺市史

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堺市史 第七巻 ((二六二)中村家久)

(二六二)中村家久 【海部屋甚右衞門】中村家久は通稱甚右衞門、道號を宗有と稱した。,(本室宗有居士墓誌)【家系】父權右衞門一數は阿波三好氏の後裔で、同國海部郡出身の故を以て屋號を海部屋と,(漏月菴墨蹟内外箱蓋裏書、漏月菴墨蹟添狀)【南宗寺の山門を建立す】而して亦、清巖宗渭南宗寺經營の際、家久之,を援けて甘露門を建て、正保四年六月竣工した。,(南宗寺山門棟札、本室宗有居士墓誌)斯して家久は南宗寺の有力なる外護者であつたが、延寶四年十月三日享年八十二歳
堺市史 第七巻 ((二〇)阿彌陀寺)

【本尊】本尊阿彌陀如來、【堂宇】本堂、庫裏、小書院、門あり、境内二百四十七坪餘、(社寺明細帳)【如意明神社沿革,(文化十年手鑑)甘露寺親長卿記に、「文明十五年三月二十五日三村幷子亥御前等に參詣す云々と見える。
堺市史 第七巻 ((五八)清巖宗渭)

【南宗寺經營】後亦南宗寺の經營に意を用ひ、正保四年六月中村家久の喜捨によつて、山門卽ち甘露門を造營した,(南宗寺山門棟札)【東海寺初住】澤庵の歿後、慶安二年幕命により品川東海寺の初住となり、道譽彌々高く、又高桐院
堺市史 第七巻 ((八)澄圓)

澄圓常に本朝念佛門の獨り入唐來朝の授受を闕くを嘆じ、淨土教善導の疏書を披き、他力一門、易修易行、末世衆生出離,卽ち甘露山と號し、【蓮社號の嚆矢】八宗兼學の道場として本朝蓮社號の嚆矢となつた。,澄圓又夢窓國師の述作した、夢中問答中に念佛門を以て小乘として居るのに對し、其未だ洪經大論を咀嚼せず、甚,するところ、十勝論、松風論、驚覺論、淨土五祖辨、同疏、淨土諸祖系圖、同光彩論、淨土諸流緣起集、二道對辨論、釋門息諍論
堺市史 第七巻 ((一)南宗寺)

に右折すると右側に總門がある。,【山門】門内參道を南へ瓦葺重層樓の山門の傍(甘露門)を東へ進めば、右に塔頭寶光菴、左に大德寺末の德泉菴,山門の東方翫月橋を渡れば東方に當寺鎭守の辨天堂があり、【集雲菴址】堂の東方に集雲菴址がある。,庵は南に露路を設け、柏樹の植込を切り揃へて生籬とし、以て方丈の前庭と區別し、方丈から通ずる飛石傳ひに露路口,南旅籠町東三丁に所在し土塀を繞し、北方表門を入れば門内東方に稻荷、乳守の二社がある。
堺市史 第七巻 ((一)大阿彌陀經寺)

(一)大阿彌陀經寺 大阿彌陀經寺は甘露山と號し、一に旭蓮社と云ふ。,、文龜二年正月地主八萬貫屋宗德及び妙德の夫妻は、之を私にすべからずとし、當寺に寄進し、別に寺域に毘沙門天堂,を造立し、傳空海一刀三禮の作、長さ六寸の毘沙門天の尊像を安置した。,次いで寬保二年六月土御門泰邦の執奏により、中御門天皇第六皇女光照院宮より菊花絞章附幕一帳及び同提灯二張,外に善光寺堂、毘沙門堂、納骨堂、鐘樓、南門及び北門がある。境域二千百十七坪餘。
堺市史 第七巻 ((二)菅原神社)

、堺北庄常樂寺天神之初事)天喜二年宣旨により、石燈並びに永代燈油料を寄進せられ、降つて文明十二年四月甘露寺親長來,(常樂寺天滿天神緣起、甘露寺親長卿記)天文元年十二月北莊火を失して東西に延燒の際、當社亦烏有に歸した。,(文化十年手鑑)同年南北の總門及び灌頂門を造立した。,(台德院殿堺御政所江入御之舊記)同五年櫻之町榎並屋勘左衞門は、父圓通の遺言により、二王門を造立寄進した,氏子谷善右衞門弟久右衞門と謀り、享保四年神輿並びに附屬一切の調度を新調して之を寄進した。
堺市史 第七巻 ((一)南宗寺)

所謂宿鷺池、坐雲亭、甘露門、潮信橋、金剛峯、雙峨峯、大仙岩、萬代山、護國廟、宿院卽ち是れである。,中村家久)の喜捨によつて、山門卽ち甘露門を造營した。,潮信橋(山 門 前)  清巖    翫月橋(總 門 前)  實堂    金剛峰(金 剛 山)  實堂,甘 露 門)  玉舟    鐘 樓(坐 雲 亭)  天室    佛 殿(大 雄 寶 殿)  清巖    ,(南宗寺史)【大德寺派の專門道場となる】斯して亦、明治二年本山一派の專門道場を建て、(明治三十五年寺院提出書類
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