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堺市史 第七巻
((一)矛神社址)
(一)矛神社址 【所在】神功
皇后
を祭神とする矛神社は南旅籠町東三丁字内農人町にあつたが、明治四十年五月開口神社,(大阪府誌)【鉾塚】明治初年鉾塚に設けた神社で、塚は
皇后
が御鉾を埋められた舊址と傳へ、(堺鑑)一説に旗
堺市史 第七巻
((二)九艘小路)
(二)九艘小路 【所在】九艘小路は寺地町東三丁旭蓮社北門筋の俗稱で、【由來】神功
皇后
三韓より御凱陣の
堺市史 第七巻
((一一)照憲皇太后行啓御遺蹟)
(一一)照憲皇太后行啓御遺蹟 【所在】照憲皇太后が明治天皇の
皇后
として明治三十六年五月六日堺水族館へ
堺市史 第七巻
((三)方違神社)
崇神天皇の八年冬十二年物部大母呂隅足尼を遣はして、此處に素盞嗚尊を奉祀せしめ、神功
皇后
の攝政二年三韓より,又同十六年八月紀州侯は心經一卷を、同二十年二月日野西家よりは、神功
皇后
神影及び王仁の畫像各一幅を奉納した,【社寶】社寶に神功
皇后
甲冑乘馬木像、住吉明神の木像等がある。 ,楯井とは神功
皇后
御親ら天神を奉祀し、涌出の靈泉を楯を以て劃せられた故事に因つて楯の井と呼び、又反正陵が
堺市史 第七巻
((三)馬堂址)
(三)馬堂址 馬堂は神功
皇后
三韓より御凱陣に際し、【所在】馬を大寺の北門に繫がれた緣故で同所に建てられたと
堺市史 第七巻
((四)甲神社址)
(四)甲神社址 甲神社址は神功
皇后
三韓より御凱陣に際し甲を埋められ、後其地に社を建てゝ附近を雛橫小路
堺市史 第七巻
((一二一)大坂屋市郞兵衞)
(上條公美撰住吉橋記、文化十年手鑑)蓋し、神功
皇后
の古傳説に因つて命名せられたのである。
堺市史 第七巻
((三)方違神社)
【神功
皇后
馬繫之松】又第二鳥居の北には神功
皇后
馬繫之松の舊址があつて二丈餘の老松の下に由緖の碑を建設してゐる
堺市史 第七巻
((一八)百舌鳥耳原北陵)
大正六年五月八日東宮裕仁親王(今上天皇)同十一年十一月三十日
皇后
(皇太后)が何れも御參拜あらせられた。
堺市史 第七巻
((一)行基)
(堺鑑上)天平勝寶元年正月十四日、天皇、
皇后
は、行基を宮中に請じて菩薩戒を受けられ、大菩薩號を賜はり、
堺市史 第七巻
((五)妙國寺)
中央須彌壇には一塔兩尊、四菩薩、四天王を安置し、右方に油屋常言木像、織田信長寄進釋迦如來木像、傳光明
皇后
信仰佛
堺市史 第七巻
((二)明治天皇御遺蹟)
玉座正面扉の内部には 今上、
皇后
兩陛下の御眞影奉安庫を安置してゐる。
堺市史 第七巻
((一)開口神社)
(住吉神名記、社寺明細帳)【奉祀の根源】神功
皇后
三韓征討御凱旋に際し茅渟石津長峽濱に着船し給ひ、石津北原,
皇后
瑞兆として喜び給ひ、蟹守葦見別の女仲媛をして、其地に鹽土老翁を奉祭せしめた。,其他傳土佐光起筆聖武天皇畫像一幅、同光明
皇后
畫像一幅、傳信實筆菅原道眞畫像一幅、正親町公通自畫贊茄子繪一幅
堺市史 第七巻
((五七)鳥井駒吉)
二十七年三月 【獻上品】天皇、
皇后
兩陛下御結婚滿二十五年の御慶典を擧げさせらるゝに方り、堺酒造組合は、
堺市史 第七巻
((一七)百舌鳥耳原中陵)
【大正昭和時代】大正に入つては同六年皇太子裕仁親王、同十三年
皇后
(皇太后)御參拜あらせられ、殊に十三年
堺市史続編 第六巻
([こ])
-344 ――(櫛屋町) 4-871,5-297 高明院(高蔵寺) 1-585 光明
皇后
堺市史続編 第六巻
([し])
1-690 真行 1-347 真行寺(市村) 1-820,4-299,302 神宮
皇后
陵
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