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堺市史 第七巻
((九四)空海)
(九四)
空海
空海
は眞能(能阿彌と稱し、鷗齋又は春鷗齋と號した)の小姓で、右京(茶人系傳全集は右近に,(南坊錄)壯年の時、【茶道を能阿彌に學ぶ】茶湯を能阿彌に受け、後俗塵を厭ひ、剃髮して堺に居住し、
空海
と,(茶人系傳全集、茶事談、茶人大系譜)世人弘法大師と同名なるを嗤ふたが、
空海
は世には釋迦院、阿彌陀院と名 / (九四)
空海
堺市史 第七巻
((一〇)千藏院)
【沿革】傳へいふ大同元年僧
空海
唐より歸朝し、翌年入京の途、堺浦着船に際し、衆庶駐錫を乞ふたので
空海
結緣,卽ち九間四面の殿堂を創建して、【本尊】影像を安置し、爾來
空海
高野より上京の途次、こゝに宿泊した。,(千藏院本尊大師記)【堂宇】本堂、庫裏、客殿を具へ、境内百二十二坪、(社寺明細帳)【什寶】什寶に傳
空海
筆愛染明王畫像一幅
堺市史 第七巻
((五九)應其)
(續寶簡集五十四)同堂は
空海
入唐歸朝に際し、北莊九間町に着岸し、假堂を建てたところと傳へられ、其後
空海
堺市史 第七巻
((六)高野堂址)
(六)高野堂址 【三箇所の舊址】
空海
の創建したと云はれてゐる高野堂(堺鑑)は其位置轉々して三箇所に舊址
堺市史 第七巻
((三)發光院)
(本堂御掛札)【本尊】本尊は寺傳
空海
作愛染明王で、【堂宇】本堂、庫裏、客室、長屋門あり、外に龍王堂がある
堺市史 第七巻
((七)專稱寺)
(社寺明細帳)【什寶】什寶に傳
空海
筆辨財天女像一幅、傅越國泰澄作阿彌陀如來(一に水牽如來といふ)立像一軀
堺市史 第七巻
((八〇)北向道陳)
茶湯を好み、法を
空海
に受けて其技に長じ、(茶人系傳全集)後之を千利休に傳へ、【茶道の宗匠】武野紹鷗の歿後宗匠
堺市史 第七巻
((二九)超善寺)
泉州志卷之二)【什寶】什寶に傳善導大師筆阿彌陀如來畫像一幅、傳法然上人自畫像一幅、同空蟬の名號一幅、傳
空海
所持松蟲
堺市史 第七巻
((一五)正法寺)
境内に傳
空海
作俗に撫地藏と云はれる石地藏菩薩像一軀、【荒神碑】又舊三寶寺の本尊であつた荒神像がある。
堺市史 第七巻
((八)大安寺)
)【庭園】方丈の庭園には千利休の時雨井及び虹手水鉢と云はれる利休好の棗形手水鉢あり、【什寶】什寶に傳
空海
筆兩界曼荼羅二幅
堺市史 第七巻
((一)大阿彌陀經寺)
文龜二年正月地主八萬貫屋宗德及び妙德の夫妻は、之を私にすべからずとし、當寺に寄進し、別に寺域に毘沙門天堂を造立し、傳
空海
一刀三禮
堺市史 第七巻
((一)開口神社)
後年
空海
參籠して眞言祕密の道場を構營し、(大寺緣起)是より、眞言宗に歸し、無本寺として寺僧其社務を執ることゝなつた,を祀り、日光、月光兩菩薩、十二神將像を安置し、三重塔内には本尊大日及び四天主、齋堂には役行者、行基、
空海
堺市史 第七巻
((一)南宗寺)
床の東側の壁には利休當時の儘と稱する壁を瓢形に殘し、落掛には俊寬が鬼界ヶ島より流した卒塔婆とも、
空海
筆蹟
堺市史続編 第六巻
([く])
空海
(弘法大師) 1-249,250 空襲 2-1081~1082,1084,1091,1093
堺市史 第七巻
((一)南宗寺)
主なるものに、華嚴會上釋迦如來木像一軀、鍍金毘沙門天立像一軀、同上厨子(外面青貝總繪内部土佐繪)、傳
空海
作辨財天座像一軀
堺市史 第七巻
(目次)
一三四 (九二)津田宗伯・・・・・・・・一三四 (九三)篠 道甘・・・・・・・・一三四 (九四)
空海
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