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堺市史 第七巻
((四六)笑嶺宗訢)
(四六)
笑嶺
宗訢 宗訢、字は
笑嶺
、喝雲叟と號した。,倍々精彩を加へ、終に其奧旨に達して印可を付與せられ、又其性質の快濶にして胸中一點の蟠り無きの故を以て、
笑嶺
,又北莊の宗賀は、同莊に一寺を創建し、【北宗寺】南宗寺に對して北宗寺と號し、
笑嶺
に開山たらんことを請ふたが / (四六)
笑嶺
宗訢
堺市史 第七巻
((五〇)僊嶽宗洞)
久しく紫野の諸耆宿に參し、法を
笑嶺
宗訢に嗣いだ。,(紫巖譜略)又南宗寺第六世を繼ぎ、(南宗寺歷世年譜)
笑嶺
の命により、【海眼庵一世】堺海眼庵に入り、第一世,庵はもと尼寺で、其尼僧から
笑嶺
に寄進したものである。
堺市史 第七巻
((五七)一凍紹滴)
南宗寺に來つて、大林宗套に隨侍すること數年、祥首座の歿後は、【南宗寺駐錫】南宗寺に留つて、大林の法嗣
笑嶺
宗訢,
笑嶺
の寂後、一派耆宿の合議により、堺の陽春菴に入り、【南宗寺第七世】又同門の請に應じて南宗寺を董し、(
堺市史 第七巻
((四)天慶院)
【沿革】始め海眼菴と稱し、南庄谷口にあり、比丘尼寺であつたが、南宗寺第二世
笑嶺
宗訢のとき枝院となり、(
堺市史 第七巻
((六〇)春屋宗園)
山城の人で、俗姓は薗部氏、
笑嶺
宗訢の法を嗣ぎ、【大德寺出世】永祿十二年三月大德寺に出世し、其第百十一世
堺市史 第七巻
((七四)谷宗臨)
然るに天正中
笑嶺
和尚のとき、千利休の斡旋により、宗臨の有に歸した。
堺市史 第七巻
((五一)古溪宗陳)
三十歳の時、江隱の示寂に會し、其法嗣
笑嶺
宗訢に師事することゝなつた。
堺市史 第七巻
((八)三好長慶)
此時
笑嶺
導師となり、又十三日より三七日間に亙つて其養子義繼施主となり、【南宗寺の供養】南宗寺に於て莊嚴
堺市史 第七巻
((一)南宗寺)
次いで同十一年正月大林和尚示寂し、
笑嶺
宗訢後を嗣いで第二世となつた。,弘治以來建營に努めた當寺の規模は、第二世
笑嶺
宗訢に至つて殆んど完備の域に達した。,(全堺詳志卷之上)續いて
笑嶺
宗訢は同十一年十一月遷化し、歷代相嗣ぎ、第七世一凍紹滴の時寺域の北隅に厚德菴,【大阪役後の復興】既にして大阪役後、澤庵燒跡を視察し、十一月聚光院に歸つて
笑嶺
和尚の三十三囘忌を修し、,(南宗寺山門棟札)【江雪十境及び諸堂の稱號を定む】江雪宗立は明曆二年十二月曩に第二世
笑嶺
和尚が名づけた
堺市史 第七巻
((五三)江月宗玩)
七年秋
笑嶺
宗訢に從ひ、更らに改名して宗丸と稱した。
堺市史 第七巻
((四一)大林宗套)
多くの門弟中嗣法のものは、纔に
笑嶺
宗訢と惟清宗泉首座の二人のみであつた。
堺市史 第七巻
((一二)祥雲寺)
雲谷等益筆澤庵和尚贊震旦六祖傳六幅、聖觀音座像一軀、釋迦如來像一軀、達磨座像一軀、聖德太子座像一軀、本光禪師(
笑嶺
宗訢
堺市史 第七巻
((五四)澤庵宗彭)
】九月に至り澤庵南宗寺の燒跡を見分し、直ちに岸和田の日光教寺に赴き、暫く此處に寓居し、十一月二十九日
笑嶺
和尚
堺市史 第七巻
(目次)
・・・・・・・・七六 (四四)日詮・・・・・・・・七八 (四五)日栖・・・・・・・・七八 (四六)
笑嶺
宗訢
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