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堺市立中央図書館/堺市史

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堺市史 第七巻 ((一五)紅谷菴)

(一五)紅谷菴 紅谷菴は天王山と號し、【位置】三國ヶ丘町にあり、曹洞宗興聖寺末、寺格常恆會地である。,爾來紅屋の庵、紅庵又は紅谷庵と呼ばれるやうになつた。,以來諸宗の徒交々來住したが、元和以後寺地は遂に市民金屋伊右衞門の私有に歸し、堂宇亦頗る頽廢したが、(紅谷庵緣起,、直に本堂及び庫裏等を建立し、興聖寺末として高弟眉柏祖禪を住職たらしめ、維持の法を定めて同三年天王山紅谷庵,(紅谷庵緣起)同五年十一月寺格を昇し、曹洞宗最高の格位常恆會地となつた。 / (一五)紅谷菴
堺市史 第七巻 ((一五)環溪密雲)

今の紅谷菴のことである。  ,元治元年秋、【豪德寺住職】武藏荏原郡世田ヶ谷豪德寺に轉住、明治元年春、【紅谷菴に接衆】紅谷菴に來つて接衆,を法地寺院とす】三月紅谷菴を法地寺院とし、其徒眉柏をして、同菴の住職たらしめた。,(近世禪林叢談)此月紅谷菴を片法幡會の寺格に昇進せしめた。,明治五年朝廷教部省設置の際は、權少教正に補せられ、【紅谷菴を常恆會地とす】十一月紅谷菴を常恆會の寺格に
堺市史 第七巻 ((一五七)牡丹花肖柏)

(紅谷庵緣起)現三國ヶ丘町の紅谷庵は其遺址である。,(逍遙院内府實隆公高野參詣日記)寄宿の寺とは、彼の紅谷庵であらう。
堺市史 第七巻 (目次)

六三二 (一三)廢大通庵・・・・・・・・六三五 (一四)廢禪通寺・・・・・・・・六三六 (一五)紅谷菴
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