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堺市史 第七巻
((七九)武野紹鷗)
(七九)武野
紹鷗
武野
紹鷗
名は仲材、幼名は吉野松菊丸、通稱は新五郞、(泉州龍山二師遺藁、大林和尚塔銘幷序裏書,(住吉名所圖會卷之一) 第二十二圖版 武野
紹鷗
書狀 第二十二圖版 武野
紹鷗
書狀 ,(一閑
紹鷗
居士畫像贊)堺向泉寺に葬り、碑前に石燈籠を置いた(
紹鷗
傳來道具譯書留寫、桃青寺過去帳、數寄者名匠集,)【南宗寺
紹鷗
塔】今南宗寺に其供養塔のあるのは
紹鷗
が同寺の外護者たるの關係によるものであらう。,【
紹鷗
の女】
紹鷗
に一人の女があつた。 / (七九)武野
紹鷗
堺市史 第七巻
((五)武野紹鷗屋敷址)
(五)武野
紹鷗
屋敷址 【所在】武野
紹鷗
の屋敷址は中、寺地兩町の山之口筋附近にあつた。,
紹鷗
の堺にあつたのは晚年の事で、當時町名を堺南庄舳松といつた。(堺鑑) / (五)武野
紹鷗
屋敷址
堺市史 第七巻
((一八八)武野安齋)
(一八八)武野安齋 【
紹鷗
の孫】武野安齋諱は知信、新五郞と稱した。
紹鷗
の嫡孫で、宗瓦の子である。,(澤庵禪師寂然塔銘)【大林和尚塔牌の寄進】又承應三年祖父
紹鷗
の一百年遠忌に當り、南宗寺の寺僧と相謀り、,其前年の承應二年十二月に、同寺の開山大林宗套の塔牌を寄進し、兼て
紹鷗
の追福を修した。
堺市史 第七巻
((九五)三二)
(九五)三二 三二は堺甲斐町の薪屋で、(茶湯古事談)
紹鷗
に茶湯を學び、精勵怠るところがなかつた。,【創意の風爐】曾て四方なる太平瓦を硏精して風爐を据え、
紹鷗
を招請して意匠を賞せられた逸話がある。
堺市史 第七巻
((一〇七)茜屋宗佐)
【
紹鷗
門下】茶湯を武野
紹鷗
に學んだ。
堺市史 第七巻
((九七)辻 玄哉)
(九七)辻 玄哉 辻玄哉は堺の茶人で、【
紹鷗
の高足】武野
紹鷗
の高弟である。
堺市史 第七巻
((九)廢禪樂寺)
(社寺明細帳)もと不盡菴と稱し、【沿革】天文年中武野
紹鷗
の開創である。,(武野
紹鷗
位牌、祥雲寺略記)
紹鷗
は當時堺寺院の境域狹く、埋葬の餘地なきを憂ひ、地所を購ふて、之を各寺の,元和以後諸寺院復興の際、
紹鷗
の外孫今井宗呑及び其二子等遠祖の遺業を偲び、復興の志を起こしたが、何れも志
堺市史 第七巻
((九八)山上宗二)
(山上宗二記、茶人系傳全集)宗二は
紹鷗
、宗易の如き才識なくして、【茶人に對する諷示】徒に新意を企つる茶人,これは珠光の一紙目錄に、
紹鷗
の追加を錄し、之に自己の所見を記したもので、茶湯の起源、名器及び名蹟の形狀,、性質、來歷より、茶湯の心得、茶の手前、所作等に及び、更らに數寄屋の間取には、
紹鷗
四疊半左勝手及び自己創意
堺市史 第七巻
((八六)今井宗久)
は大和の今井に住したが、故あつて堺に徙り、(養壽寺今井家系圖)納屋宗次の家に寓居し(數寄者名匠集)【
紹鷗
,の女婿】茶湯を武野
紹鷗
に學び、遂に女婿となり、家財茶器を悉く讓られた。,(
紹鷗
傳來道具譯書寫)始め茶湯を以て足利義昭に仕へ、法印に敍せられ、大藏卿と稱した。,又茶湯の師
紹鷗
の二十五囘忌、天正七年六月二十九日には鹽穴常樂寺内に五層の塔を建てゝ冥福を祈つた。
堺市史 第七巻
((八三)松江宗訥)
【錢屋】錢屋と號し、富豪を以て聞こえ、(數寄者名匠集)【
紹鷗
門】茶湯を武野
紹鷗
に學んだ。
堺市史 第七巻
((八二)油屋常祐)
(妙國寺過去帳)【
紹鷗
門】茶湯を武野
紹鷗
に學んだ。
堺市史 第七巻
((五)三好義賢)
(己行記)又
紹鷗
に學むで、茶湯を能くし、(十河物語)名物の茶器を有し、之を實休肩衝と稱した。,(茶人系傳全集)【
紹鷗
の追善】其追善に
紹鷗
は、茶會を催し、影前に獻茶し、 石川やせみの小河の清
堺市史 第七巻
((一〇八)山本助五郞)
茶湯を武野
紹鷗
に學んだ。(茶人系傳全集)【二疊半小座敷】始めて二疊半の小座敷を造つたと云はれてゐる。
堺市史 第七巻
((一二七)奈良屋宗怡)
御物名物記に、元
紹鷗
所持高麗筒青磁の茶入を所藏したとある。(數寄者名匠集)
堺市史 第七巻
((一二三)水落宗意)
【所有の名品】御物名物記に、昔此家に
紹鷗
圓座の茶入があつたが、今は御物となつたと見えてゐる。
堺市史 第七巻
((八九)武野宗瓦)
【
紹鷗
の男】
紹鷗
の男である。
堺市史 第七巻
((九一)竹倉屋紹滴)
(茶事談)或は武野
紹鷗
の門人であるともいはれて居る。(茶人系傳全集)
堺市史 第七巻
((一二〇)薩摩屋宗仁)
御物名物記によると、
紹鷗
の霰釜は、織田信長から宗仁に與へたのを、其後豐臣秀吉に獻じたものである。
堺市史 第七巻
((九六)譽田屋宗宅)
或は
紹鷗
の門人であるともいふ。【後繼德隣】譽田屋德隣は蓋し宗宅の後であらう。
堺市史 第七巻
((一〇二)紅粉屋宗陽)
茶事談、茶人系傳全集、堺鑑には輕粉屋とあるが、今は全堺詳志及び數寄者名匠集による)は堺の茶人で、武野
紹鷗
堺市史 第七巻
((二一七)桔梗屋道職)
(二一七)桔梗屋道職 【堺の茶人】【辻玄哉の門弟】桔梗屋道職は堺の茶人で、武野
紹鷗
の門下、辻玄哉の門弟
堺市史 第七巻
((一〇三)高石屋道勺)
(一〇三)高石屋道勺 高石屋道勺は通稱を長三郞といひ、堺の茶人で、武野
紹鷗
の門弟である。
堺市史 第七巻
((八一)津田宗達)
世々富商の名あり、茶技を武野
紹鷗
に學び、(茶事談、茶人系傳全集)家に多數の名器を所藏した。
堺市史 第七巻
((六四)岐翁紹禎)
岐翁は亦
紹鷗
と親交があり、茶話を樂んで居た。
堺市史 第七巻
((一〇)今井兼續)
【臨光菴創剏】又南宗寺内に臨光菴を創立し、清巖宗渭を請して開祖とし、承應三年同菴に於て、武野
紹鷗
の一百年忌
堺市史 第七巻
((八〇)北向道陳)
茶湯を好み、法を空海に受けて其技に長じ、(茶人系傳全集)後之を千利休に傳へ、【茶道の宗匠】武野
紹鷗
の歿後宗匠
堺市史 第七巻
((一五八)曾呂利新左衞門)
或は
紹鷗
の門下とも云はれて居る。
堺市史 第七巻
((八四)千利休)
(茶人系傳全集)利休年甫めて十七、【茶道の師】茶湯を北向道陳に學び、後更らに、武野
紹鷗
に隨ふて其奧技に,(堺數寄者の物語、南坊錄)始め
紹鷗
其才を試みんと欲し、自ら庭園を灑ぎ、砂を布き、後利休を呼んで掃除を命,
紹鷗
其才に感じ、悉く其祕訣を傳へたといふ。
堺市史 第七巻
((五六)玉仲宗琇)
龍寶山大德禪寺世譜)【今井氏との親交】又今井宗久、宗薰等と親交あり、宗久の委囑により、織田信長及び武野
紹鷗
堺市史 第七巻
((四一)大林宗套)
阿佐井野宗瑞、武野
紹鷗
、同信久、同爲久、津田宗及、北向道陳、谷宗臨等は其主なるものであつた。,泉州龍山二師遺藁、大林和尚塔銘)然も、【祖塔銘文】其祖塔の銘文は大林の遷化後に至つて猶ほ久しく成らなかつたが、武野
紹鷗
堺市史 第七巻
((一)南宗寺)
【大黑庵】院内大黑庵の茶室は寺傳では武野
紹鷗
好みと傳へてゐるが、恐らく後世の模倣であらう。,實相庵實測圖 【南宗寺墓地】南宗寺墓地は天慶院及び海會寺の東方にあつて牡丹花肖柏、武野
紹鷗
,就中
紹鷗
の供養塔はくり拔きの茶釜型で、德川時代には之を叩けば湯のたぎる音がするといはれ見料を取つて見せたこともあつた
堺市史 第七巻
((四)三好政長)
【宗三の風流】宗三
紹鷗
に從ふて茶湯を學び、其技を能くした。祕藏の茶器があつて、之を九十九髮といふ。
堺市史 第七巻
((七)今井宗薰)
(
紹鷗
傳來道具譯書留寫今井彦右衞門家之覺書)織田長益其茶湯に通ずるの故を以て愁訴して釋され、【高野山遁竄
堺市史 第七巻
((一)南宗寺)
(和泉名所圖會卷之一)是より先、【
紹鷗
の計畫】武野
紹鷗
も南宗の舊菴を一新して宗套を開山となさんとし、志,長慶建設の工を興すに及び、
紹鷗
の親族等は先志を繼いで工を援けた。,故に
紹鷗
等も開寺後十檀越の數に加へられた。,へられ、(棟札銘)【大林和尚の塔牌成る】又同堂に安置せる開山大林和尚の塔銘牌は、承應三年武野宗朝が祖父
紹鷗
,【墓碑】墓地には牡丹花肖柏、武野
紹鷗
、千利休並に千家一門の塔、茶宗隱岐宗沕壽碑、堺奉行贄安藝守正壽、中村一數
堺市史 第七巻
(插入圖版目次)
九八 第二十一圖版 半井明親墓碑 (京都市眞珠庵境内)・・・・・・・・一〇五 第二十二圖版 武野
紹鷗
書狀, (堺部正井喜兵衞氏所藏)・・・・・・・・一一二 第二十三圖版 武野
紹鷗
供養塔 (大阪市藤田德太郞氏邸内
堺市史 第七巻
((一)開口神社)
【八窓茶室】閣の東側には
紹鷗
好の八窓茶室があつて、瑞祥閣の庭園と境する爲め灌木の生籬を繞し、北方に竹の
堺市史 第七巻
((一)開口神社)
其人名は念佛寺差帳日記に見え、市小路の分には、納屋の一族、舳松町の分には、皮屋
紹鷗
の名が注意される。
堺市史 第七巻
(目次)
(七七)等惠・・・・・・・・一一〇 (七八)松井宗誾・・・・・・・・一一一 茶人 (七九)武野
紹鷗
,二代目中村富十郞住宅址・・・・・・・・八五一 (四)北向道陳屋敷趾・・・・・・・・八五一 (五)武野
紹鷗
屋敷趾
堺市史続編 第六巻
([た])
1-135,137,138,156,393,439,556,1293,1420,5-1108 武野
紹鴎
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