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堺市史 第七巻
((一二〇)薩摩屋宗仁)
御物名物記によると、紹鷗の霰釜は、
織田信長
から宗仁に與へたのを、其後豐臣秀吉に獻じたものである。
堺市史 第七巻
((五六)鹿喰善二郞)
(墓誌)同家は蓋し長曾我部元親を
織田信長
に推擧した、堺の町人宍喰屋の後裔であらう。
堺市史 第七巻
((一六二)具足屋祐專)
元季は
織田信長
及び豐臣秀吉に仕へ、老年致仕して、堺に移つた。
堺市史 第七巻
((一三)大福院)
當院は
織田信長
紀州根來寺攻擊の際、同寺の塔頭大福院の本尊を奉じ、天正元年之を當所に徙し、【創建】同年三月阿闍梨法印林清
堺市史 第七巻
((四八)信譽洞庫)
(信長記、宗論記)其際
織田信長
から貞安に與へた、雪の下裂七條袈裟は、貞安より更らに之を洞庫に與へ、現に
堺市史 第七巻
((一四)淨行寺)
【沿革】和泉八木城主荻野會部丞、
織田信長
に所領を沒收せられ、遂に本願寺顯如に從ひ、同國泉郡額原村(現大阪府泉南郡八木村大字額原
堺市史 第七巻
((四九)尊秀)
で、天文十三年出生し、弘治二年得度した(尊秀表彰狀)元龜二年から天正八年に亙り、石山本願寺の顯如父子
織田信長
堺市史 第七巻
((五)本源院)
(堺史料類纂)【什寶】什寶に涅槃像一幅、釋迦八相圖二幅等を有し、【墓碑】墓地には
織田信長
、同信忠の石塔婆
堺市史 第七巻
((一六)松井友閑)
(一六)松井友閑 松井友閑は
織田信長
の右筆で、後宮内卿法印に任ぜられた。
堺市史 第七巻
((八二)油屋常祐)
(全堺詳志卷之下)元龜四年四月、
織田信長
岐阜から上洛して堺の名器を覽んとて、松井友閑、丹羽長秀に命じて
堺市史 第七巻
((八九)武野宗瓦)
同九年
織田信長
に逐はれ、信長の死後堺に歸つた。
堺市史 第七巻
((五六)玉仲宗琇)
(龍寶山大德禪寺世譜)【今井氏との親交】又今井宗久、宗薰等と親交あり、宗久の委囑により、
織田信長
及び武野紹鷗
堺市史 第七巻
((七二)半井瑞策)
(半井家系圖)【信長、秀吉の信任】
織田信長
瑞策を愛し、豐臣秀吉も亦頗る信任した。
堺市史 第七巻
((一)廢引接寺)
大永八年七月幕府寺領の收納嚴重たるべき旨下知狀を與へ、【長慶、信長の禁制狀】永祿七年六月三好長慶、天正元年十一月
織田信長
等
堺市史 第七巻
((一五)正法寺)
、同義政安堵狀(文明二年九月)、同寄進狀(同二年)、同安堵狀(同四年二月)、同禁制狀(同五年九月)、
織田信長
制狀
堺市史 第七巻
((二)臨江菴)
傳へいふ、
織田信長
堺の魚市に重税を賦課したが、時の十人衆は其命令に服せなかつたので信長之を安土に召して
堺市史 第七巻
((四)三好政長)
後
織田信長
に降り、復德川家康に仕へ、寬永八年十二月十日歿した。享年九十六。
堺市史 第七巻
((一一)少林寺)
往時の境域は今の寺地町、少林寺町を包擁し、兩町の海濱にまで達したが、
織田信長
に沒收せられて次第に衰頽し
堺市史 第七巻
((五一)古溪宗陳)
)道譽一世に高く、【秀吉の崇信】頗る豐臣秀吉の崇信する所となり、同十年秀吉總見院を大德寺内に創建し、
織田信長
堺市史 第七巻
((五二)日珖)
五月相國寺に於て、
織田信長
に謁し、七月には本法寺の歌會に列席した。,(佛心歷代師承傳)七年
織田信長
の命により、【安土問答】五月近江の安土に至り、貞安と宗義を問答し、問答四
堺市史 第七巻
((四六)笑嶺宗訢)
正親町天皇は特に祖心本光禪師の號を勅賜せられ、【大德寺法要導師】天正十年十月大德寺に於て、羽柴秀吉、
織田信長
堺市史 第七巻
((一)南宗寺)
(覊旅漫談)【本源院墓地】又本源院墓地は同院の南にあつて、
織田信長
、信忠父子の供養塔を始めとし、橋本桂園,(全堺詳志)堂は
織田信長
の命に乖いて誅戮された堺十人衆供養の爲めに建てた所といふ。
堺市史 第七巻
((八五)津田宗及)
(茶人系傳全集)家に多數の名器を襲藏し、
織田信長
堺の名器を展觀したとき、宗及所有の菓子繪は其撰に入つた
堺市史 第七巻
((九)顯本寺)
(社寺明細帳)【什寶】什寶には刑部少輔、以下の各禁制狀、安宅冬康書狀、
織田信長
朱印狀、蓮如消息二幅、傳豐臣秀吉所用茶辨當一揃等
堺市史 第七巻
((八)妙國寺蘇鐵)
妙國は嘗て
織田信長
の爲めに安土城に移植せられたが、異變を示して當寺へ復植するに至つたと傳へられ、更らに
堺市史 第七巻
((五)妙國寺)
東西中の三室とし、中を又三座に分ち、中央須彌壇には一塔兩尊、四菩薩、四天王を安置し、右方に油屋常言木像、
織田信長
寄進釋迦如來木像
堺市史 第七巻
((五三)江月宗玩)
元和七年
織田信長
の菩提所總見院の荒廢を修營して往住し、是年大燈國師語錄三帙を再刊した。
堺市史 第七巻
((七九)武野紹鷗)
織田信長
丹羽長秀を使者として、一覽するよしの命を傳へしめ、後之を返還したが、北野大茶湯に、利休此ことを
堺市史続編 第六巻
(第三編 近世)
499 第一節 織豊時代の堺 500 1 織豊政権の覇権確立 500
織田信長
堺市史続編 第六巻
([お])
169 織田信重(左馬丞) 5-926 織田信澄 1-575 織田信孝 4-704
織田信長
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