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堺市立中央図書館/堺市史

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堺市史 第七巻 ((二)藏屋敷址)

(二)藏屋敷址 【四箇所】德川時代藏屋敷の舊址は舊市内部に四箇所ある。,【堺藏屋敷址】〔堺藏屋敷址〕 元祿二年の堺大繪圖に今の櫛屋町東二丁字山口筋東方南北二筋を藏屋敷町と記してゐるから,【長曾根村藏屋敷址】〔河州長曾根村藏屋敷址〕 熊野町東六丁大小路橋西詰北側に所在した。,【甲斐庄喜右衞門藏屋敷址】〔甲斐庄喜右衞門藏屋敷址〕 江戸の旗本甲斐庄喜右衞門の藏屋敷は熊野町東五丁熊野尋常小學校敷地東北隅,(元祿二年改堺大繪圖)  【北條氏藏屋敷址】〔北條氏藏屋敷址〕 神明町西二丁にあつて、時代により其稱呼 / (二)藏屋敷址
堺市史 第七巻 ((一〇)伊東義祐)

せる事分明となり、(堺市史蹟志料)文化十一年五月始めて、飫肥城主伊東修理太夫の代參として、同藩の大阪藏屋敷,(日向國飫肥城主伊東家大坂藏屋敷諸事記)墳墓も亦、文化法要の際修築せられたものであらう。
堺市史 第七巻 ((一八六)奧野小山)

(小山堂詩鈔)後近江三上藩主遠藤侯に仕へ、大阪藏屋敷の留主居役を勤めた。
堺市史 第七巻 ((二五八)今井道與)

島津家道與の後裔に扶持す】同年十月島津家では、當時大阪北堀江五丁目に居住した道與の後裔田邊屋彌佶を大阪藏屋敷,爾來扶持米は大阪藏屋敷から給付せられたが、明治維新後遞減し、明治七年には一石となつた。
堺市史 第七巻 ((八)大通菴址)

【元祿二年の狀態】寺菴は元祿二年の堺大繪圖には熊野町寺町にあつて西面し、東は當菴掛屋敷、甲斐庄飛驒守藏屋敷
堺市史 第七巻 ((一)惣會所址)

後天神境内の會所は櫛屋町大道へ移し、藏屋敷下町の建物は絲割符會所に使用した。
堺市史続編 第六巻 ([く])

   1-620 蔵元   4-517,5-211,214 蔵本恒之   2-861,871 蔵屋敷
堺市史続編 第六巻 ([さ])

-548,589 堺蔵   1-913  ――納   1-913 堺蔵元   4-624 堺蔵屋敷町
堺市史続編 第六巻 ([か])

   3-227,350 川上塗料(株)大阪工場   3-695 河上丈太郎   2-495 川口蔵屋敷
堺市史 第七巻 (目次)

第二節 史蹟(二)特に屋敷址・・・・・・・・八三四 (一)惣會所址・・・・・・・・八三四 (二)藏屋敷址
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