機関トップ
資料グループ
テキスト一覧
キーワード一覧
堺市立中央図書館/堺市史
トップページ
詳細検索
詳細検索
目録
テキスト
キーワード
その他(トップページ等)
検索条件を追加
目録
テキスト
年表
キーワード一覧
その他(トップページ等)
AND
OR
NOT
年号変換
閉じる
検索結果
: 52件
辞書ファセット
○○○
△△△
10件
20件
50件
100件
(並べ替え)
テキストタイトル(昇順)
テキストタイトル(降順)
ページタイトル(昇順)
ページタイトル(降順)
掲載ページ(昇順)
掲載ページ(降順)
/ 2ページ
堺市史 第七巻
((一二〇)薩摩屋宗仁)
御物名物記によると、紹鷗の霰釜は、織田信長から宗仁に與へたのを、其後
豐臣秀吉
に獻じたものである。
堺市史 第七巻
((五一)北十萬)
(末寺御改帳)
豐臣秀吉
は踞尾村にて、【朱印寺領】寺領五十石の朱印を寄せ、德川幕府に至つて永く渝らず、(,社寺明細帳)【什寶】什寶に上述の後水尾天皇北十萬勅額一幅、傳惠心僧都筆來迎佛一幅、開山衆德上人木像一軀、
豐臣秀吉
寺領朱印狀等
堺市史 第七巻
((九七)辻 玄哉)
(數寄者名匠集)【利休に臺子の法を傅ふ】
豐臣秀吉
始めて千利休に臺子の茶湯すべきよしを命じた際に、利休は
堺市史 第七巻
((一一)三好存保)
(三好家成立記)後
豐臣秀吉
に仕ヘ、(三好別記)十四年十二月十二日豐後國年滿に於て戰死した。
堺市史 第七巻
((四五)日栖)
其用材は
豐臣秀吉
の贈つたもので、朝鮮木であると傳へられてゐる。天正十一年四月五日遷化した。
堺市史 第七巻
((一六二)具足屋祐專)
元季は織田信長及び
豐臣秀吉
に仕へ、老年致仕して、堺に移つた。
堺市史 第七巻
((一二一)重宗甫)
(茶事談、茶人系傳全集)利休の門人で、(數寄者名匠集)茶湯を以て
豐臣秀吉
に仕へた。
堺市史 第七巻
((八三)松江宗訥)
京都千本の道提から出で、足利義政に移り、後更らに奈良の蜂屋淨佐の手に移り、轉じて宗訥之を所持したが、終に
豐臣秀吉
堺市史 第七巻
((五一)古溪宗陳)
(寶山住持世記上、龍寶山大德禪寺世譜)道譽一世に高く、【秀吉の崇信】頗る
豐臣秀吉
の崇信する所となり、同十年秀吉總見院,(秀吉將軍記卷中)同十九年正月豐臣秀長の卒するや、【
豐臣秀吉
法要導師】秀吉の懇請により法要の導師となり
堺市史 第七巻
((二八九)西村宗全)
【弟宗次郞】弟宗次郞(一に宗四郞に作る)も亦土風爐の製作に長じ、
豐臣秀吉
より天下一の稱號を許されたが、
堺市史 第七巻
((一五八)曾呂利新左衞門)
(茶人系傳全集)【秀吉の寵遇】人と爲り慧敏で機才に富み、和歌を能くし、
豐臣秀吉
に寵遇せられた。
堺市史 第七巻
((六一)日通)
天正十八年
豐臣秀吉
の聚樂第を營むに方り、一條堀川に在つた同寺を今の地に移轉の際、本阿彌光二は其工事を監督
堺市史 第七巻
((二六)極樂寺)
(堺鑑中、泉州志卷之一)【朱印寺領】
豐臣秀吉
寺領二十石の朱印を寄せ、德川幕府亦之に傚ひ、(朱印狀、代々手鑑
堺市史 第七巻
((二〇)櫛笥寺)
(略緣起)是より先き、天正十四年七月
豐臣秀吉
築尾村に於て、【朱印寺領】寺領一石一斗の朱印を寄せ、德川幕府亦舊
堺市史 第七巻
((二三)成就寺)
明國皇子筆紺紙金泥無量品一册、尊鎭法親王筆消息一幅、九條關白忠良筆日蓮大菩薩號一幅、宗祖日蓮筆十界曼荼羅一幅、
豐臣秀吉
消息一幅
堺市史 第七巻
((五六)玉仲宗琇)
【秀吉の信任】
豐臣秀吉
玉仲を信ずること厚く、總見、天瑞の二刹を創設し、玉仲を開祖とした。
堺市史 第七巻
((八九)武野宗瓦)
同十六年
豐臣秀吉
の命に違ひ、伊勢の朝熊寺に居ること年餘、猶ほ秀吉に追はれ、駿府に到り德川家康に憑つた。
堺市史 第七巻
((九)顯本寺)
(顯本寺調査書)【朱印寺領】これより先き、
豐臣秀吉
は寺領二十七石の朱印を寄せ、德川幕府に至つても舊に倣,社寺明細帳)【什寶】什寶には刑部少輔、以下の各禁制狀、安宅冬康書狀、織田信長朱印狀、蓮如消息二幅、傳
豐臣秀吉
所用茶辨當一揃等
堺市史 第七巻
((七二)半井瑞策)
(半井家系圖)【信長、秀吉の信任】織田信長瑞策を愛し、
豐臣秀吉
も亦頗る信任した。
堺市史 第七巻
((九八)山上宗二)
茶湯を利休に學び、【秀吉に仕ふ】
豐臣秀吉
に仕へた。
堺市史 第七巻
((一一)聾井址)
(一一)聾井址
豐臣秀吉
の茶湯に使用せられ、井守聾者の故に其名を生じたとの傳説を有つた(堺鑑)聾井は
堺市史 第七巻
((二四)經王寺)
(堺南北寺院塔頭之諸出家印鑑帳)【朱印寺領】寺領としては
豐臣秀吉
踞尾村に二十六石の朱印を寄せ、德川幕府亦之
堺市史 第七巻
((三)廢金光寺)
【朱印寺領】當寺は
豐臣秀吉
の時に寺領十九石を寄せられ、(堺鑑中)德川氏を經て(代々手鑑)明治維新後上地
堺市史 第七巻
((一六四)久 吉左衞門)
【征韓役の嚮導】
豐臣秀吉
の征韓に方り、其船隊堺に於て艤裝を終り、出發に際し吉左衞門、肥前まで海路の案内
堺市史 第七巻
((八)廢向泉寺)
然し古來當寺の奉仕した方違、東原、天王の三社は、尚依然として舊址にあつた(向泉寺緣起)【寺領朱印】
豐臣秀吉
堺市史 第七巻
((一四〇)小西如清)
天正中
豐臣秀吉
播磨にあつて毛利氏と對陣に際し、直家の向背は戰局に影響するところ少なからざるを以て、秀吉
堺市史 第七巻
((一)廢引接寺)
(堺南北寺院塔頭之諸出家印鑑帳)【朱印寺領】
豐臣秀吉
は寺領十石三斗を寄せ、德川幕府亦之に倣ひ、(代々手鑑
堺市史 第七巻
((八七)山岡宗無)
【劒を上泉秀綱に學ぶ】劒を上泉秀綱に學び、(麻野家系圖)茶湯を千利休に受け、【秀吉に仕ふ】
豐臣秀吉
に仕
堺市史 第七巻
((八八)千 道安)
春屋宗園に參禪し(茶人系傳全集)
豐臣秀吉
に仕へた。
堺市史 第七巻
((五九)應其)
木食草衣】木食草衣して精進苦行するもの十三年、(高野山總分方風土記七、通念集四、無言抄奧書)同十三年
豐臣秀吉
大擧
堺市史 第七巻
((二)織田長益)
後
豐臣秀吉
に仕へ、十三年七月從四位下に敍し、侍從に任ぜられた。
堺市史 第七巻
((三)山名豐國)
【因幡の守護】天正六年五月
豐臣秀吉
大軍を率ゐて因幡に入り、鳥取城を圍んだ。
堺市史 第七巻
((一四三)納屋助左衞門)
絲亂記)助左衞門文祿二年小琉球卽ち呂宋へ渡航し、翌年七月歸朝し、當時堺の代官であつた、石田杢助を介して、
豐臣秀吉
堺市史 第七巻
((七)海會寺)
これより先き、【朱印寺領】
豐臣秀吉
は寺領三十石の朱印狀を寄せ、(海會寺記錄)德川幕府亦之に倣つたが、明治四年正月上地
堺市史 第七巻
((一)大阿彌陀經寺)
第十七世岌安當住の際、天正十四年七月
豐臣秀吉
築尾村にて、【朱印寺領】寺領四十石の朱印を寄せた。,【秀吉の入浴】天正年中
豐臣秀吉
有馬入湯の後、こゝに浴して痼疾を治し、(鹽風呂由緖書、旭蓮社緣起堺鑑中)
堺市史 第七巻
((一五二)高三隆達)
【秀吉に召さる】
豐臣秀吉
大阪在城の際、堺津に命じて一藝に秀でたるものを召したが、隆達も書道を以て撰に預
堺市史 第七巻
((一四)廢禪通寺)
(玉仲遺文)永祿十二年三月二日附彈正忠等の禁制狀を傳へ、【朱印寺領】又天正十四年七月
豐臣秀吉
は朱印狀を
堺市史 第七巻
((一)光明院)
當時は斯くの如く歷朝の崇信篤く、公武の歸依を聚め、【朱印寺領】
豐臣秀吉
は築尾村に於て寺領十六石の朱印を
堺市史 第七巻
((八六)今井宗久)
(茶人系傳全集、全堺詳志卷之下)後、
豐臣秀吉
に仕へ、同十三年北野の茶會には宗久所藏の茶器は第四位を占めた
堺市史 第七巻
((一一)少林寺)
(堺鑑中、泉州志卷之一)
豐臣秀吉
は石田三成(泉州志には石田隱岐守)小西行長をして、境内竹木の伐採を禁止
堺市史 第七巻
((七)今井宗薰)
(今井氏七石碑銘幷系圖)【茶湯の達人】茶湯を父に學んで奧儀を極め、
豐臣秀吉
に仕へて近侍となつた。
堺市史 第七巻
((一二)小西行長)
(一二)小西行長 小西行長は彌九郞と稱し、如清の子として
豐臣秀吉
に親任せられた。
堺市史 第七巻
((三)祥雲寺)
松は臥龍松と稱し、
豐臣秀吉
の愛玩を受けたものゝ後身で、谷正印當寺建立の際こゝに移したといはれてゐる。
堺市史 第七巻
((一五)竹田藥師院○昌慶以下歷代)
【圓璡定信】圓璡定信は
豐臣秀吉
の病を治して法眼に敍し、堺に於て食祿千石を給せられ、文祿三年十二月法印に
堺市史 第七巻
((八五)津田宗及)
(泉州龍山二師遺藁)
豐臣秀吉
に仕へて三千石を領し、法眼和尚位に敍せられた。
堺市史 第七巻
((一)妙國寺)
同十三年三月下旬豐後の大友宗麟、
豐臣秀吉
に謁せんが爲めに來り、當津に着船し宿泊した。,、傳伏見天皇御製和歌一幅、冷泉爲家筆細字三十六歌仙和歌一幅、三好義良書狀一幅、三好永椿和歌色紙一幅、
豐臣秀吉
朝鮮渡海朱印狀一幅
堺市史 第七巻
((五三)江月宗玩)
南宗寺に入り、十三歳牡丹に題するの詩を賦し、其末句「十三紅是我同年」を見て、春屋の歎賞するところとなり、
豐臣秀吉
堺市史 第七巻
((八四)千利休)
(鹽尻卷六十一、類聚名物考卷四十六)【秀吉の寵遇】後
豐臣秀吉
に仕へて寵遇を受け、長岡友齋、蒲生氏鄕來堺
堺市史 第七巻
((五二)日珖)
(佛心歷代師承傳)同十三年七月
豐臣秀吉
の命により、赦されて安土の誓文を破られ、大阪に至つて秀吉に謁し、
堺市史 第七巻
((二)菅原神社)
(神輿御幸諸事留帳、輿神渡御願書留) 【領地】神領は
豐臣秀吉
天正十四年七月二百二十石の朱印を寄せ、,伏見宮二品兵部卿貞建親王筆、土佐光芳畫天滿宮並に常樂寺緣起一卷、後西天皇皇女寶鏡寺宮德嚴理豐筆菅家御傳記一卷、
豐臣秀吉
朱印狀一通
/ 2ページ