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堺市史 第七巻
((一四)廢禪通寺)
【鎭守今池
辨財天
】鎭守今池
辨財天
は河内高安郡教興寺の
辨財天
と同作で、傳聖德太子作、開祖宗然草創の際鎭守,として勸請したものであつたが、正平年中石塔賴房北莊下村領知の際、【
辨財天
移遷】今池の邊(舊向井村今池の,(今池
辨財天
緣(明治三十五年寺院提出書類))其後火災あり、堂宇及び尊像を失ひ、後年池底より尊像の手指を,延寶八年堂宇を新營し恆例の祭祀もいつしか廢絶し、只境内の鎭守堂に祀り、之を今池
辨財天
と稱するのみとなつた
堺市史 第七巻
((九)阿彌陀寺)
を廢して阿彌陀寺と號し、【本尊】曾て自知譽が鄕貫河内阿彌陀寺村に獲た阿彌陀如來を安置して本尊とし、【
辨財天
堂,の本尊】鎭守
辨財天
堂の本尊及び本間資貞の念持佛であつた如來を脇立とし、且四宗兼學を改めて淨土宗鎭西派に
堺市史 第七巻
((六四)大譽珂山)
天性穎敏であつたが、學資乏しく江ノ島
辨財天
に參詣して祈願したこともあつた。
堺市史 第七巻
((四)廢三寶寺)
【沿革】某年兵燹に罹り、其後今池
辨財天
社前の池中より掘出し、之を三村社内に安置し、(堺鑑上)文明十六年十二月南莊樽屋町
堺市史 第七巻
((四)十萬屋敷址)
【舊址】此境域は現在北十萬の北方
辨財天
及び錦之町西二丁一番地三浦〓氏住宅に相當する。
堺市史 第七巻
((七)專稱寺)
(社寺明細帳)【什寶】什寶に傳空海筆
辨財天
女像一幅、傅越國泰澄作阿彌陀如來(一に水牽如來といふ)立像一軀
堺市史 第七巻
((一〇)長慶寺)
【本尊】【堂宇】本尊釋迦牟尼佛で本堂、庫裏、文庫、納家、門の外に
辨財天
堂あり、境内六百四十三坪を占め、
堺市史 第七巻
((五一)北十萬)
本尊阿彌陀如來は惠心作と傳へられ、【堂宇】本堂、庫裏、客殿、茶室、玄關、土藏、納屋、鐘樓等あり、別に鎭守
辨財天
堂
堺市史続編 第六巻
([へ])
,46,48,49,51,52,55,59 へや 5-972~976 へるへちわん→別珍
弁財天
,(大庭寺村) 4-909 ――(畑村) 4-916 ――禿倉 4-844
弁財天
社
堺市史 第七巻
((八)天白稻荷神社址)
奉行御役屋敷繪圖には奉行屋敷の奧向庭園にあつて、
辨財天
、琴平神社等の境内末社を記してゐる。
堺市史 第七巻
((一五)向井神社址)
當時營造物は方一間半の本殿、二間に一間半の幣殿、五間に二間の拜殿を初めとし、神明、八幡、稻荷、愛宕、大黑、
辨財天
堺市史 第七巻
((五五)河盛仁平)
(大日本寺院總覽)又大阪四天王寺に聖德太子の尊像を寄進し、青森、函館間の一小島に奉祀せる
辨財天
堂を再建
堺市史 第七巻
((五)妙國寺)
傳光明皇后信仰佛たる釋迦如來木像、三好實休信仰佛たる釋迦如來木像を安置し、右方に傳兒島高德守護神たる
辨財天
十六童子木像並
堺市史 第七巻
((一)南宗寺)
らざるを主張して覺書を提出し、一面寺内に神社を存してゐるのは、物議を釀す基なりとて、もと念佛寺奉祀の
辨財天
像,八幡宮の神體は又七方に遷され、翌二年四月
辨財天
の遷座式が擧行せられた。,元祿二年堺大繪圖)今は東南に土居川を繞らし、境域一萬九十坪餘を占め、佛殿、方丈、昭堂、僧堂、東照宮祠、
辨財天
堂,なるものに、華嚴會上釋迦如來木像一軀、鍍金毘沙門天立像一軀、同上厨子(外面青貝總繪内部土佐繪)、傳空海作
辨財天
座像一軀
堺市史 第七巻
((二)菅原神社)
(慶長二十年亂後記錄)【元祿二年の寺觀】元祿二年の堺大繪圖には、本社、拜殿、本堂、大梵天堂、
辨財天
堂、,(堺鑑上)元祿六年四月靈龜の祠を建て、島の鎭守とし、
辨財天
祠と稱し、傍に靈龜山慈眼院を建てた。
堺市史 第七巻
((一)開口神社)
同四年の大寺繪圖には、本堂、三重塔、齋堂、高樓、寶藏、本社及び拜殿、末社たる伊勢兩宮、荒神社、天神社、
辨財天
社
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