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堺市立中央図書館/堺市史

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堺市史 第七巻 ((二一一)里村玄陳)

(二一一)里村玄陳 【堺に住す】【連歌師】里村玄陳は紹巴の孫、玄仍の男である。,堺に住し、連歌を以て聞こえ、傍ら繪畫を善くし、書法に達した。法眼に敍せられてゐる。
堺市史 第七巻 ((七五)谷宗牧)

(七五)谷宗牧 谷宗牧は、孤竹齋と號し、宗祇の門下で連歌に秀で、【和歌を善くす】又和歌を善くした。
堺市史 第七巻 ((二一〇)祐心)

(源光寺過去帳)【古今傳受】連歌を以て聞こえ、(古今承相傳受之次第)大阪の人淀屋箇庵(言當)に就いて古今傳
堺市史 第七巻 ((二)菅原神社)

天正二年の當社配置圖には、本社及び拜殿、大梵天堂拜殿、金堂、觀音堂、藥師堂、護摩堂、御影堂、食堂、經堂、連歌所,同六年伊丹屋宗伯は表四間半、【連歌所】奧行二間の連歌所を造立した。,(全堺詳志卷之下、莊嚴頭に關する文書)【法樂連歌會】當社法樂連歌の開催せられた濫觴は明かでないが、天正二年,の堂宇配置圖にも連歌所が記入せられ、菅神七百五十年祭に當る慶安五年正月には、連歌二千句の興行あり、其八百年祭,の前年元祿十四年八月には、十一日より七日間連歌三千句の催あり、翌十五年には詞宗平間長雅の發起で、公武を
堺市史 第七巻 ((七六)宗椿)

(七六)宗椿 宗椿は堺の連歌師で、坂東屋と稱した。(明翰抄)牡丹花肖柏の門人である。
堺市史 第七巻 ((一五七)牡丹花肖柏)

【機才】幼より連歌を好み、八歳の時机に倚つて手習の際、或人突然に「物をもいはで物習ふ人」と口吟んだ。,第三十九圖版 牡丹花肖柏消息      【新式今按述作】足利幕府の末心敬、宗祇が物故してからは、諸國連歌,(續俳家奇人談)永正七年八月後柏原天皇御夢に父帝後土御門の連歌會に侍せられ、肖柏に命じて發句を詠ましめたところ,天皇御夢覺めて之を奇とせられ、卽ち三條西實隆をして、肖柏を池田より召さしめ、九月十三夜便殿に於て、親しく連歌會,應酬】某年四月三條西實隆が、高野參詣の途、堺南庄光明院に止宿の際、彼此相訪問し、五月朔日同院に於て、連歌會
堺市史 第七巻 ((七七)等惠)

(七七)等惠 等惠は靖齋と號し、【肖柏の門下】牡丹花肖柏の門に學んで連歌を善くした。
堺市史 第七巻 ((七四)谷宗臨)

(谷家系圖、瑞雲寺略記)【和歌並びに連歌を善くす】宗臨は細川藤孝に和歌を學び連歌をも能くした。
堺市史 第七巻 ((二)菅原神社)

(天神常樂寺繪圖)【連歌所】市杵島姫神社の西南には連歌所が西面して建てられ、後庭を具へてゐる。,更らに連歌所の西南にある小門は現在通行を許してゐるが、古來の稱呼のまゝに不明門と名づけてゐる。,【大内義弘の首塚】又連歌所東隅の一丘は大内義弘の首塚と傳へられる。
堺市史 第七巻 ((二一二)半井卜養)

古今傳受を受く】俳諧を松永貞德に學んで、奧祕を究め、(半井家系圖、俳家大系圖)堺流の古今傳を受け、和歌及び連歌
堺市史 第七巻 ((一)光明院)

續いて光瑱の主催で、一座の連歌を興行してゐる。
堺市史 第七巻 ((一六六)谷 安殷)

【平間長雅に學ぶ】安殷又連歌に志し、後平間長雅に和歌を修め、奧旨に達し、神國和歌師資相傳正流血脈道統之譜一卷
堺市史 第七巻 ((一)開口神社)

【舊連歌所】又神樂殿の東方に舊連歌所がある。
堺市史 第七巻 ((八)三好長慶)

(己行記、三好別記)是日長慶は飯盛城に在つて、弟冬康、宗養及び紹巴等と、連歌會を催したが「すゝきに交る
堺市史 第七巻 ((一)惣會所址)

【北本鄕惣會所址】〔北本鄕惣會所址〕 元祿二年の堺大繪圖に菅原神社境内東南隅、現在連歌所の東方に西面の
堺市史 第七巻 ((一)開口神社)

又月次法樂連歌を其社前に興行し、嘉吉二年十一月に細川基之、同教春の兩和泉國兩守護は法樂連歌月次料田を寄進
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