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堺市立中央図書館/堺市史
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堺市史 第七巻
((三七)遍照寺)
(三七)
遍照寺
遍照寺
は光臺山と號し、【位置】櫛屋町東四丁字寺町にあり、淨土宗知恩院末、寺格能分八等 / (三七)
遍照寺
堺市史 第七巻
((四八)信譽洞庫)
信長記、宗論記)其際織田信長から貞安に與へた、雪の下裂七條袈裟は、貞安より更らに之を洞庫に與へ、現に堺
遍照寺
,(堺史料類纂)【
遍照寺
開山】天正八年
遍照寺
の開山となり、(堺南北寺庵本末開基宗旨改帳)同十四年二月十八日示寂
堺市史 第七巻
((二〇二)玉皋院)
(墓誌)【墓所】文政十年八月二十六日享年七十四歳を以て歿し、
遍照寺
先塋の次に葬つた。,(
遍照寺
過去帳)
堺市史 第七巻
((五一)傳譽牛澤)
【淨源寺再興】【圓通寺開山】始め堺
遍照寺
(現櫛屋町東四丁)及び西向寺に在住し、後淨源寺(南半町宗宅庵の
堺市史 第七巻
((一二五)上條 麻)
【墓所】霜居四十餘年、寬政二年四月行年七十三歳を以て歿し、
遍照寺
先兆の次に葬つた。(墓誌)
堺市史 第七巻
((一八二)山口厚菴)
【墓所】後門人等、墓碑を
遍照寺
の兆域に建てた。(墓誌)
堺市史 第七巻
((一一)弘經寺址)
社寺明細帳)【元祿二年の境域】右舊址は元祿二年の境大繪圖によるに櫛屋町字寺町にあつて東は興覺寺、西は
遍照寺
堺市史 第七巻
((三一)西向寺)
【沿革】專修寺玄譽永徹の開基に係り、天正九年六月照蓮社寂譽再興、(社寺明細帳、堺鑑中)慶長中
遍照寺
傳譽牛澤之
堺市史 第七巻
((一一)齋藤寬治)
寬政重修諸家譜卷第六百八十二、墓誌)【堺隱栖】是に於て元長堺に來つて隱栖し、名を寬治と改め、十六年三月壽塔を
遍照寺
内
堺市史 第七巻
((一二九)榮譽宗春)
(緇白往生傳下)【墓碑】
遍照寺
の兆域に巨大なる五輪塔の墓表がある。
堺市史 第七巻
((三六)上條柳居)
堺
遍照寺
(現櫛屋町東四丁)先塋の次に葬り、(上條柳居墓碣銘、小山堂文鈔)奧野小山其墓碑銘を撰んだ。
堺市史 第七巻
((三三)上條柳廬)
【墓所】文政三年七月十六日享年六十六歳病歿、
遍照寺
(櫛屋町東三丁)中の塋域に葬つた。
堺市史 第七巻
((四五)高山保次郞)
【墓所】櫛屋町東三丁
遍照寺
に葬むる。法名量譽壽覺苞居禪定門と云ふ。
堺市史続編 第六巻
([へ])
―(泉郡春木川村) 4-921 変事 5-517 弁順寺(南半町) 2-1106
遍照寺
堺市史 第七巻
(目次)
・・・・・・・・五八八 (三五)淨信寺・・・・・・・・五八八 (三六)安樂寺・・・・・・・・五八八 (三七)
遍照寺
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