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堺市史 第七巻
((一)開口神社)
(一)
開口神社
【所在地】府社
開口神社
は甲斐町東一丁に鎭座し、大小路以南の總氏神である。,(
開口神社
實測圖)神佛混合時代には別當念佛寺の通稱によつて大寺と呼ばれ、今猶ほ一般に大寺の稱を存してゐる,(
開口神社
營造物臺帳)繪馬堂の南、社務所に東隣して瑞祥閣表門があり、東北隅の北、繪馬堂の東に三重塔がある,又植込の南、鋪道の傍に
開口神社
の碑が建てられてゐる。,第百三圖版
開口神社
見取圖 第百三圖版
開口神社
見取圖 【影向石】白髭神社の西南 / (一)
開口神社
堺市史 第七巻
((一)開口神社)
(一)
開口神社
【位置】【式内社】
開口神社
は甲斐町東一丁に鎭座する式内社で、(延喜式神名帳)【祭神】,(
開口神社
祭神考)斯くして住吉の外宮として、(和漢三才圖會卷七十六、泉州志卷之一、全堺詳志卷之上)朝家,(
開口神社
祭神考)されば住吉社二十年每の改造に當り、當社亦之に準じ、爾來恆例となつた。,(
開口神社
祭神考、
開口神社
調査書) 【舊位置】開口村は社藏天福二年注申狀に據ると、鹽穴鄕内小鹽穴の,(攝州住吉社御造營記、
開口神社
諸記錄)神輿舍は享保十七年十一月江戸下谷池之端住守田治兵衞の寄進により之 / (一)
開口神社
堺市史 第七巻
((五)三好元長戰死址)
【顯本寺址】卽ち元長が最後の地たる當時の顯本寺(現在中之町東三丁)は三好記に大寺(
開口神社
)の神慮を憚,り其西門の畔にあつた顯本寺に入つたとあるから、中世以來變つてゐない大寺(
開口神社
)の西、卽ち甲斐町字山之口筋附近
堺市史 第七巻
((三)馬堂址)
住吉御祓祭に神馬の秣を獻じ、南莊より清祓錢を出し、附近を目口筋と云つたが、(全堺詳志)後宿院に移り、更に
開口神社
境内,【舊址】從つて舊地は
開口神社
北門と宿院とにあるべきであるが、今は兩所共に其舊址として確示された場所は分
堺市史 第七巻
((一)惣會所址)
(一)惣會所址 【所在】德川時代の惣會所址は
開口神社
境内、菅原神社境内、少林寺町東二丁、櫛屋町東二丁,〔南本鄕惣會所址〕 元祿二年の堺大繪圖其他にも所在を明記してゐないが、此惣會所の後身たる南組惣會所が
開口神社
境内,存し、一面北本鄕惣會所が大小路以北の氏神であつた菅原神社境内に置かれ後北組惣會所とせられたのによると
開口神社
境内所在,【南組惣會所址】〔南組惣會所址〕 北組惣會所と同じ理由で置かれた南組惣會所は
開口神社
境内にあつた南本鄕會所,
開口神社
西門境内北側、往時の食堂の位置にあつたが、享和元年五月市之町大濱筋へ移轉した。
堺市史 第七巻
((五)妙法寺樟)
(五)妙法寺樟 【所在】
開口神社
境内の大樟と共に併稱せられてゐる中之町東三丁妙法寺境内の樟樹は、高さ
堺市史 第七巻
((二七九)文殊四郞氏定)
(
開口神社
所藏文殊四郞氏定刀銘)
堺市史 第七巻
((二)舳松神社址)
(二)舳松神社址 【所在】明治四十年五月
開口神社
へ合祀した舳松神社は寺地町東三丁十三番地田村眞三氏住宅
堺市史 第七巻
((一)矛神社址)
)矛神社址 【所在】神功皇后を祭神とする矛神社は南旅籠町東三丁字内農人町にあつたが、明治四十年五月
開口神社
堺市史 第七巻
((四)甲神社址)
【所在】卽ち市之町
開口神社
東門筋に該當する。
堺市史 第七巻
((二)海會寺井)
(二)海會寺井 海會寺井は一に金龍水とも稱せられ、【所在】南旅籠町東三丁海會寺に屬し、甲斐町東一丁
開口神社
表門前字山口筋
堺市史 第七巻
((四)廢三寶寺)
(堺市史蹟志料)明治の初年廢絶し、(
開口神社
記錄)寺址は市鄽となり、【所在】石像は今正法寺の境内に遷されて
堺市史 第七巻
((二八七)柳 彌助)
(友淵楠麿、眞木甚之輔氏談話)【作品】其代表作として
開口神社
所藏神馬の屛障がある。
堺市史 第七巻
((一)芦原濱)
斯くして今は唯南旅籠町及び南半町の西四丁、同五丁に芦原の俗稱を存し、漁業者の住居地となり、内川に近く
開口神社
堺市史 第七巻
((三五)屋崎正明)
(三五)屋崎正明 尾崎正明通稱は莊右衞門、【具足屋】屋號を具足屋と稱し、第八世を嗣ぎ、(
開口神社
奉納源氏物語箱書
堺市史 第七巻
((四)引接寺址)
(
開口神社
文書)所謂宿院とは今の宿院御旅所のある地で、今市町とは元祿二年の堺大繪圖にある今日の宿院町西一丁字中濱筋
堺市史 第七巻
((一二)智演)
(堺鑑中、和泉名所圖會卷之一、
開口神社
文書)
堺市史 第七巻
((一〇)御蔭山址)
頂上に鎭守として住吉大明神、金毘羅大權現、稻荷大明神を勸請した旭社があり、後旭地藏を祀つた小堂が出來、
開口神社
堺市史 第七巻
((一四三)納屋助左衞門)
(
開口神社
文書、築地修理人名帳)足利氏の中葉以降、海岸に納屋を有し、之を貸與して所得とし、上分の者と稱
堺市史 第七巻
((七)乾峰士曇)
井は今海會寺の舊址
開口神社
西門の側にあり、金龍井或は海會寺井と稱し、堺名井の一に數へられてゐる。
堺市史 第七巻
((二二八)土佐光起)
一は
開口神社
所藏、元祿三年十月十五日に成つた大寺再興緣起で奧書に土佐左近衞將監光起入道、行年七十四法眼常昭筆
堺市史 第七巻
((七)海會寺)
(園大曆、棟札寫、泉州志卷之一)寺はもと今の
開口神社
の西門前にあり、方八町の境域と三百石の寺領とを有し
堺市史 第七巻
((四)大谷派本願寺堺別院)
【創建地】川端町の遺址は今の大町東一、二丁卽ち字山之口筋より
開口神社
南門筋迄の間であるが、其地點は明かでない
堺市史 第七巻
((七九)武野紹鷗)
(大林和尚筆一閑道號)今
開口神社
瑞祥閣の東傍に傳へて紹鷗の茶室と稱するものがあり、又大阪市の南郊住吉天下茶屋
堺市史 第七巻
((一)本願寺派堺別院)
南茶所、佛供所、廟堂、拜堂、經藏、鼓樓、鐘樓、門番所等の建物甍を聯ね(社明細寺帳)【梵鐘】鐘樓の梵鐘は
開口神社
堺市史 第七巻
((三)宿院)
【名越岡舊址】又名越岡は現在御旅所の東方、
開口神社
南門筋を中心として南北に跨つた地域で、其南北兩丘の境界
堺市史 第七巻
(插入圖版目次)
第八十七圖版 薩摩藩免狀 (堺市堀井久吉氏所藏)・・・・・・・・四九五 第八十八圖版 念佛寺講師付 (堺市
開口神社
所藏,六八七 第百二圖版 養壽寺襖繪[○一 部] (堺市養壽寺所藏)・・・・・・・・六八八 第百三圖版
開口神社
見取圖
堺市史続編 第六巻
([第一編 古代])
時代 169 第一節 産土信仰と仏教の普及 170 1 産土神 170
開口神社
堺市史 第七巻
((五七)鳥井駒吉)
ぐと共に、【敬神崇佛】一面敬神、崇佛の念深く、事蹟の遺されたものが各地方に存するが、就中堺市内では、
開口神社
境内
堺市史続編 第六巻
([あ])
秋山護謨(株) 3-276,719,780 商人見 5-158 商人年行司 5-325
開口神社
堺市史 第七巻
(目次)
第二編 神社、寺院、教會誌・・・・・・・・五一五 第一章 神社誌・・・・・・・・五一五 (一)
開口神社
,七一七 第一章 神社及神社址・・・・・・・・七一七 第一節 神社・・・・・・・・七一七 (一)
開口神社
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