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堺市立中央図書館/堺市史

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堺市史 第七巻 ((六)廢集雲菴)

(六)廢集雲菴 【位置】集雲菴址は南旅籠町東三丁南宗寺境域の東北隅、德泉菴の東にある。,【沿革】一休の門弟岐翁紹禎、師に背いて擯出せられ、市之町六間筋に集雲菴を構へて居住したが、後宥免せられ,、集雲菴の名稱を南坊と改稱せしめられた。 / (六)廢集雲菴
堺市史 第七巻 ((一一)岐翁閑居址)

(堺鑑)【集雲庵】右閑居地は所謂集雲庵で、元和市街再興の際南宗寺境内へ移轉したところの寺院である。
堺市史 第七巻 ((一〇九)南坊宗啓)

堺集雲菴の第二世である。(茶人系傳全集)集雲菴は後に南坊と改めた。,然も宗啓自ら清貧に安んじ、名器とてはもとより、露地さへもなき、集雲菴三疊の茶室に、再三利休を招いて茗讌,、(雲萍雜志一)茶湯の衰へんことを憂ひつゝ日を送つたが、利休の第三囘忌を終へた三月二十八日飄然として集雲菴
堺市史 第七巻 ((六四)岐翁紹禎)

(六四)岐翁紹禎 岐翁紹禎は集雲庵の開基である。,一休の子、名は紹禎といひ、七十二歳で歿したとある)一休に背いて擯出せられ、堺市之町六間筋に庵地を求め、集雲菴,以後集雲菴とも南坊とも稱へることゝなつた。
堺市史 第七巻 ((一〇八)護法宗行)

【長慶寺住職】【集雲菴に隱栖す】堺の長慶寺に住し、故あつて東海寺の住職を辭し、南宗寺の塔頭集雲菴に退居
堺市史 第七巻 ((二五)一休宗純)

(堺鑑中)又其弟子岐翁紹禎と、【集雲庵開基】堺の集雲庵を開基した。
堺市史 第七巻 ((一)南宗寺)

山門の東方翫月橋を渡れば東方に當寺鎭守の辨天堂があり、【集雲菴址】堂の東方に集雲菴址がある。,集雲菴は明治以後廢寺となり、最近舊址へ堺市立第三幼稚園が建つた。
堺市史 第七巻 ((一)南宗寺)

(全堺詳志卷之上)集雲菴も亦此際域内に入り、心甫菴は茶宗伊丹屋紹無の菩提所で中之町寺町にあつたが、是亦塔頭,當時復舊或は再興し、或は新に塔頭に加へられたものに、移春菴、在中菴、心甫菴、利德菴、勝善院、海眼菴、德雲軒、集雲菴,奧行十二間半、海眼菴は同面九間、奧行十四間半、德雲軒は同面七間、奧行九間、海會寺は同面十四間、奧行二十間、集雲菴,せられ、【弘化年間の塔頭】弘化三年十二月の寺院組合帳に據ると、當時塔頭は天慶院、在中菴、心甫菴、吸江菴、集雲菴,卽ち集雲菴は全く退轉し、其他も多くは荒廢し、僅に德泉菴、寶光菴、天慶院、臨江菴等を殘すのみとなつた。
堺市史 第七巻 ((七九)武野紹鷗)

聞いて深く感ずるところあり、【茶湯に親しむ】遂に專ら茶湯に親しみ、(山上宗二記)歸堺の後は北向道陳、集雲菴
堺市史 第七巻 (目次)

・・・・・・・・六二〇 (四)天慶院・・・・・・・・六二一 (五)本源院・・・・・・・・六二二 (六)廢集雲菴
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