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堺市史 第七巻
((三八)日言)
【日祝の高弟】幼にして
頂妙寺
の日祝に學び、早く聲名を馳せ、壯年關西に遊んで天台教觀の奧旨を硏鑽し、本化別頭,斯くして日祝門下の上足に推され、永正十年四月日祝の遺命により、【
頂妙寺
第二祖】
頂妙寺
の第二祖となつた。
堺市史 第七巻
((三〇)日祝)
に上り、(本化別頭佛祖統記)妙法を弘通し、やがて長享二年三月權僧正に陞り、(聞法山歷譜幷緣由傳記)【
頂妙寺
開山,】明應四年には道契厚き細川勝益の寄進によつて
頂妙寺
の開山となつた。,沾は頂源寺を言は
頂妙寺
を紹いだ。永正十年四月十二日享年八十七歳を以て示化した。
堺市史 第七巻
((五二)日珖)
弘治元年二十四歳京都
頂妙寺
の第三世となり、堂舍の修繕に努め、三年四月權僧正に任ぜられた。,(本化別頭佛祖統記)元龜四年四月
頂妙寺
囘祿の災に罹つたが、日珖は時に止觀不思議境を講じた。,天正元年周ねく宗祖の書を閲して、當家の論義を著し、二年三月入洛して、
頂妙寺
を修營して輪奐の美に復した。,是に於て法難を避けて、坂本の妙壽院に入り、翌日京都の
頂妙寺
に歸り、堺に遁れて隱居した。,(治要錄)同十八年五月、番神堂拜殿建立の志を以て
頂妙寺
に説教し、又神道同一鹹味抄を述作し、文祿二年九月重
堺市史 第七巻
((八四)日啓)
後京都の
頂妙寺
に遷り、正中山中山寺の輪番に轉じ、又中村の講主となり、【妙顯寺二十三世】終に妙顯寺第二十三代
堺市史 第七巻
((六九)日演)
早く
頂妙寺
日瑞について得度し、六條談林に入つて内典を學び、晚年中正院日護に從ひ、本化の奧旨を受けた。
堺市史 第七巻
((五〇)日現)
寬永十年微恙に罹り檀越の懇請によつて入洛、四月四日遂に世壽五十歳を以て、同地の
頂妙寺
に遷化した。
堺市史 第七巻
((一)妙國寺)
(泉州龍山二師遺藁)三好之康は當時京都
頂妙寺
の化主日珖に歸依し、永祿五年堺の別墅東西三町南北五町の地を,其際京都
頂妙寺
第四世日曉、同本法寺第十世日通は日珖の門下たるの關係により、日珖を始祖として、妙國、頂妙,然るに承應元年三箇寺の協議により永輪番制度に改めたが、
頂妙寺
日威輪番の際中山の衰頽を歎き、萬治二年永輪番制
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