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堺市史 第七巻
((九)顯本寺)
(九)
顯本寺
顯本寺
は常住山と號し、【位置】宿院町東三丁字寺町にあり、日蓮宗八品派本能、本興兩寺末であつたが,(兩山歷譜)一説に眞言宗大顯寺の僧某法弟となり、寺檀を擧げて同宗に歸し、名を本成院日淨、寺を
顯本寺
と改,(
顯本寺
調査書)【朱印寺領】これより先き、豐臣秀吉は寺領二十七石の朱印を寄せ、德川幕府に至つても舊に倣 / (九)
顯本寺
堺市史 第七巻
((五)三好元長戰死址)
【
顯本寺
址】卽ち元長が最後の地たる當時の
顯本寺
(現在中之町東三丁)は三好記に大寺(開口神社)の神慮を憚,り其西門の畔にあつた
顯本寺
に入つたとあるから、中世以來變つてゐない大寺(開口神社)の西、卽ち甲斐町字山之口筋附近
堺市史 第七巻
((一五二)高三隆達)
(一五二)高三隆達 【
顯本寺
高三坊の始祖】隆達俗姓は高氏、堺
顯本寺
の子坊、高三坊の第一祖で自庵と稱した,十數代其業を傳へ、天正の頃に至り、高三三郞右衞門隆喜に至り菩提所なる
顯本寺
内に一宇を營み、田畠六石の所得,じて一藝に秀でたるものを召したが、隆達も書道を以て撰に預かり、朱印六石を與へられたが辭して受けず、是を
顯本寺
,(墓表、高三過去帳)堺鑑、聲曲類纂、類聚名物考、嬉遊笑覽等に、隆達は元日蓮宗の僧侶で、
顯本寺
の寺内に住,第三十七圖版 高三隆達墓表(堺市
顯本寺
境内) 第三十七圖版 高三隆達墓表(堺市
顯本寺
境内)
堺市史 第七巻
((一三)足利義維)
(足利季世記)後元長は晴元に疎んぜられ、享祿五年六月
顯本寺
に自刄した。
堺市史 第七巻
((三)三好元長)
求め、六月には一揆大擧して義宣を討ち、更らに元長の陣所南莊を攻むるに及び、【元長の慘敗】遂に慘敗して
顯本寺
,
顯本寺
は海雲の位牌所で、(三好義長書狀)同寺の墓表には、歸本海雲善室大居士と銘してゐる。
堺市史 第七巻
((一七九)由良箕山)
【墓所】
顯本寺
(現宿院町東三丁)に葬り、墓碑を存してゐる。(浪速人傑談上、浪華人物誌卷一)
堺市史 第七巻
((一六)眞如庵)
【開基】大永元年教智院日眞尼の開創で、日眞は
顯本寺
の開山日淨の實姊である。
堺市史 第七巻
((二三)精進院日隆)
卽ち今の
顯本寺
で、同姓僧日淨をして住持たらしめた。(兩山歷譜)後直弟本覺院日陽は、本受寺を開創した。
堺市史 第七巻
((七)安宅冬康)
(大林和尚塔銘)是より先き、天文二十四(弘治元)年二月堺
顯本寺
に宛て、同寺は海雲の位牌所で、寄宿の事は
堺市史 第七巻
((八)三好長慶)
十歳の時、父元長
顯本寺
に自殺し支族三好宗三及び松永久秀等の補佐するところとなり、天文八年十七歳にして兵
堺市史 第七巻
((六)細川晴元)
五月本願寺光教晴元に應じて、長基と堺浦に戰ひ、長基利あらず、六月二十日
顯本寺
に入つて自殺した。
堺市史続編 第六巻
([け])
1-553 献納金 1-1184 元服 4-88 源平合戦 1-296,298
顕本寺
堺市史 第七巻
(插入圖版目次)
第二圖版 季龍塔 (埼玉縣青梅町延命寺境内)・・・・・・・・一三 第三圖版 三好海雲(元長)墓 (堺市
顯本寺
境内,第三十六圖版 尾和宗臨墓表 (京都市眞珠庵境内)・・・・・・・・一五二 第三十七圖版 高三隆達墓表 (堺市
顯本寺
境内
堺市史続編 第六巻
([み])
三好政康 1-410 三好宗三 1-409 三好元長 1-409 ――日蓮宗寺院
顕本寺
堺市史続編 第六巻
(第五巻)
16 楠源次郎文書 337 1 (明治12年頃) 肥問屋商議案 337 17
顕本寺
文書
堺市史 第七巻
(目次)
・・・・・・・・六七七 (七)本成寺・・・・・・・・六七七 (八)妙法寺・・・・・・・・六七八 (九)
顯本寺
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