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堺市史 第七巻
((一)鹽穴寺)
(一)
鹽穴寺
鹽穴寺
は光明山と號し、一名實相院、【位置】新在家町東四丁字寺町にあり、【沿革】眞言宗御室派仁和寺派,で、寺格三等格院、元明天皇の勅願所、僧行基の開創と傳へ(光明山
鹽穴寺
緣起、堺鑑中)慶雲四年行基堺浦に來,【舊位置】其境地は鹽穴下條の地にあり、常樂寺と號し、又寺地に因んで
鹽穴寺
とも稱した。,(光明山
鹽穴寺
緣起)【堂宇】現境内三百六十八坪(社寺明細帳)本堂、庫裏、客室、門の外に歡喜天堂がある。,(攝、河、泉金石文) 第九十圖版
鹽穴寺
緣起(部分) 第九十圖版
鹽穴寺
緣起(部分) / (一)
鹽穴寺
堺市史 第七巻
((二一)鹽穴寺址)
(二一)
鹽穴寺
址 【所在】舳松町字南舳松の南方、泉北郡神石村字上石津に跨つて
鹽穴寺
の遺址がある。,(前田長三郞氏所藏
鹽穴寺
址出土品)又三線重弧紋の中央に十字押型のある花瓦の破片或は唐草模樣の天平花瓦の,(三宅雄一氏所有
鹽穴寺
址出土品)此外故鹿嶋圓次郞氏が京都帝國大學へ寄贈した古瓦中にも此所の出土品が交つてゐる,【舊址】
鹽穴寺
の正確な位置は記錄上明確でないが、右の出土古瓦及び元祿二年の堺大繪圖に北方南宗寺近くに鹽穴池,(前田長三郞氏談) 第百二十三圖版
鹽穴寺
址出土疏瓦(天平) 第百二十三圖版
鹽穴寺
址出土疏瓦 / (二一)
鹽穴寺
址
堺市史 第七巻
((九〇)千 宗淳)
(明良洪範卷二十)利休筆不審庵の大字の額字は萬代屋宗貫が所持して居つたが、宗淳は之を堺の
鹽穴寺
へ寄附した
堺市史 第七巻
((一)行基)
(行基年譜)【堺に於ける開創の寺院】堺に於て行基の創造と稱へらるゝ寺院に、念佛寺、向泉寺、
鹽穴寺
、極樂寺
堺市史 第七巻
((一)南宗寺)
(正井喜平治氏談)席は初め
鹽穴寺
境内にあつたが、明治九年博覽會の際金龍水と稱した次の間と共にこゝに移轉修復,(實相庵圖)又西側の緣は
鹽穴寺
にあつた頃は他の部屋への連絡に使用されてゐたのである。
堺市史 第七巻
(插入圖版目次)
堺市開口神社所藏)・・・・・・・・五一七 第八十九圖版 菅原神社全景・・・・・・・・五二七 第九十圖版
鹽穴寺
緣起,[○部 分] (堺市
鹽穴寺
所藏)・・・・・・・・五五三 第九十一圖版 大阿彌陀經寺 (旭蓮社)全景・・・・・・・・, 禪樂寺址・・・・・・・・七七二 第百二十二圖版 龍神堂・・・・・・・・七八七 第百二十三圖版
鹽穴寺
址出土疏瓦
堺市史 第七巻
((八四)千利休)
(全堺詳志卷之上)【茶室】堺市新在家町東四丁
鹽穴寺
には利休の茶室實相庵があり、(後明治九年から十年の間
堺市史続編 第六巻
([し])
1-431,4-220 塩穴郷 1-171 ――・石津郷の条里 1-159~161
塩穴寺
,常楽寺(戎之町) 1-553,554,555,4-870,5-58,60,297 ――(塩穴)→
塩穴寺
堺市史 第七巻
(目次)
・・・・・・・・五五一 (五)廢地賢寺・・・・・・・・五五二 第二節 眞言宗・・・・・・・・五五二 (一)
鹽穴寺
,七八七 (一九)高渚寺址・・・・・・・・七八七 (二〇)正法寺址・・・・・・・・七八九 (二一)
鹽穴寺
址
堺市史 第七巻
((一)南宗寺)
同菴は千利休が、
鹽穴寺
に造設以來既に久しく荒廢して、殊に明治初年の交には、屋宇壞れ、壁落ち、復修理を加
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