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(二一)日秀

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 日秀字は觀隨、王洞妙院と號した。京都本滿寺の開山で、(本化別頭佛祖統記)【成就寺三世】堺成就寺(現宿屋町東三丁)の第三世である。(堺史料類纂)關白近衞道嗣の男、母は瀨尾氏、永德三年出生した。聰明睿智八歳の時既に和歌を詠じたが、出塵の志を抱いて遂に本國寺の日傳に就いて得度した。學業蚤く成り、德道大に進んだので、父道嗣は其別墅に法華を講ぜしめた。名聲大に揚り、僧都位を賜はり、次いで京都に一宇を建て、廣布山本滿寺と號した。教化大に行はれ、時人は之を以て薩埵の再現と稱した。門弟頗る多く、日重、日乾、日遠の如き宗門中興の三傑を出した。寶德三年五月八日示化した。世壽六十八。(本化別頭佛祖統記)