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(三六)日助

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 日助蓮光院と號した。【成就寺第六世】堺成就寺の第六世で、京都本圀寺の第十四世となり、(堺史料類纂)花山家太政大臣藤原政長の猶子として大僧都に任ぜられた。【天文法難】天文五年七月比叡山の衆徒等大擧して日蓮の宗徒と鬪ひ、火を放つて京都内外の同宗寺院を燒き、諸刹悉く焦土となつた。【堺避難】是時日助等難を堺に避け、暫く成就寺に錫を駐め、大に復興に努め、諸伽藍を一擧に成就した。住職たること三十二年、天文二十二年七月十四日示寂した。(本化別頭佛祖統記)