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第一編 人物誌
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第二章 全盛期(足利時代より豐臣時代迄)
(一四八)橘屋又三郞
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橘屋又三郞
は外國貿易を業とした堺の商賈である。【鐵砲の製法を覺ぶ】天文十二年葡萄牙の商船大隅の種子島に漂着し、島主時堯始めて鐵炮を傳へられ、砲術を傳習した際に、偶々又三郞同地に滯在し、忽ち製造に習熟し、歸國の後盛んに之を傳播した。故に人之を鐵砲又と稱した。(南浦文集、
堺鑑
下)
【
鐵砲記
】江戸時代の末寶曆の頃、其後裔に
橘屋吉右衞門
なる者あり、家藏に時堯の嫡子織部丞の記述した
鐵砲記
があつたのを、同八年四月
高志羪浩
に字句の正誤を乞ひ、鐵炮傳來の由來を傳へた。(
高志羪浩
剛定
鐵砲記
)