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(五)小出吉親

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 【吉英の弟】小出吉親は古政の二男で、天正十八年出生、慶長三年從五位下加賀守に敍任し、八年信濃守に改め、十五年上野甘樂(かんら)郡の内に於て采邑二千石を與へられた。(寬政重修諸家譜卷第九百二十七)【澤庵に參禪】兄吉英と共に早くより澤庵宗彭に參禪して大に得るところがあつた。【出石の治】十八年三月兄の所領、但馬國出石、氣多、美含、養父四郡の内に於て二萬七千七百石餘を與へられ、總て二萬九千七百石餘を領し、出石城に治した。大阪冬夏ノ陣、共に兄吉英を助けて偉功を樹てた。【園部に遷る】元和五年丹波園部に遷され、寬永以降萬治に至る間屢々地方を巡視して幕府の庶政を助けた。萬治二年七月辭職し、寬文七年六月致仕意閑と號し、八年三月十一日園部に於て卒去した。享年七十九。【墓所】法名を松溪玄秀福源院と號し、江戸下谷の廣德寺に葬つた。(寬政重修諸家譜卷第九百二十七)