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(一八)黑川盛匡

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 【堺奉行】黑川盛匡幼名與市、後伊賀守と稱した。食祿二百石。(文化十年手鑑、茅溟刺名鑑)明和五年十二月遺跡を繼ぎ、文化六年四月目附より堺奉行に轉じ、同年七月赴任した。【墓所】同八年八月五日卒去し、妙國寺に葬つた。(文化十年手鑑、茅溟刺吏鑑)法號を觀月院殿淨光日輝大居士といふ。墓碑は嫡孫黑川與市盛富の建てたものである。(墓表)