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第一編 人物誌
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第三章 爛熟期(大阪陣より明治維新迄)
(二〇)三宅康哉
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三宅康哉
は始め市右衞門、後長門守と稱した。食祿五百石。(文化十年手鑑)【堺奉行】寬政三年六月遺跡を繼ぎ、文化十四年正月堺奉行に任ぜられ、四月赴任した。(文化十年手鑑)同年八月より波止の再掘行はれ、文政二年四、五の兩月には、
戎島
新地の砂持が行はれた。【治績】康哉の治績は貢賦の輕減にあつた。(堺御奉行代々記)【墓所】三年二月五日卒去、
長慶寺
に葬り、法號を天澤院殿仁山宗及大居士といふ。(文化十年手鑑)