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第一編 人物誌
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第三章 爛熟期(大阪陣より明治維新迄)
(八六)日慧
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【堺人】
日慧
字は智俊、
智定院
と號した。堺の人、五歳
本光寺
の善龍院主に依つて得度し、十三歳、鷹峰談林(山城
愛宕
郡)に學び、十九歳の時中村談林(下總香取郡)に轉じた。【中村談林の化主】【
妙顯寺
二十一世】後肥後蓮政寺の住職となり、六條談林(京都)の請に應じて文句を講じ、紀州感應寺の住職に轉じ、中村談林の化主となり、終に龍華院
妙顯寺
を嗣いで二十一世に上つた。後鳴瀧
三寶寺
に退隱し、次いで鷹峰の體眞院に遷り、享保十五年九月十五日壽八十八歳を以て示寂した。(本化別頭佛祖統記)