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(九八)大休惠昉

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 惠昉、字は大休、俗姓は谷口氏、洛北北岩倉村の人である。六歳同地木野村正福庵竺傳に就いて沙彌となり、享保十七年東福寺に象海の侍者となり、參禪尋究衆に超えた。【修養】同十九年逸堂に參禪し、爾來二十餘年、寶曆二年京都清水寺に於て、讚岐善通寺の僧正から、三摩耶戒及び持明灌頂を受け、四年三月近江の千手寺に寓し、明和元年の冬、東福寺を結制して、佛鑑錄を提唱し、大衆八百六十餘人に達した。【大安寺講說】翌二年の春堺大安寺の請に應じて、大衆六百五十人を領し、英俊多く座下に集り、此より英名大に遠近に鳴り、諸方の招聘を受けて大に禪風を宣揚した。安永三年甲斐の鹽山に在つて病み、自ら起たざるを知り、誨を垂るること頗る激切を極め、六月三日參禪の諸子に訣別し、湛然として示寂した。世壽六十、法臘五十五。【禪師號勅賜】安永六年七月大悲妙行禪師の號を勅諡せられた。(續日本高僧傳卷第八)