河合五郞兵衞は梧樓と號した。父名は宗利、母は木村氏、寶永七年生れ、十六歳父の後を繼いだ。【資性】【修學】資性剛毅にして謙讓、好學の志あり、少壯業を鄕の先進高志羪浩に受け、尋いで長崎に遊んで、書を馬東明に學び、後上京して、香川修庵に醫を學んだ。【年寄役】歸鄕して居町の世話役となり、爾來四十年、終に推されて年寄役となつた。【交友】平生趙陶齋、草加驪川等と相往來して、俗交を避けた。既にして病に罹り、言語明晣を缺いたので、手に筆硯を放たず、諄々として謀を子孫に貽し、數月に及んで終に易簀した。時に安永三年二月十七日であつた。行年六十有五。【墓所】堺超善寺(熊野町東六丁)の先塋に葬つた。法號を息靜梧樓居士といふ。(河合梧樓墓碑銘)