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第一編 人物誌
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第三章 爛熟期(大阪陣より明治維新迄)
(一八二)山口厚菴
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山口厚菴
諱は美啓、字は大介、厚菴と號した。【
草加驪川
に學ぶ】堺の人、少壯學を好み、伊藤蘭嵎の門人
草加驪川
に從游して經史を學び、習禮を修め、竟に師驪川の著東儀の蹤を續ぎ、
東儀次篇
を述作した。【著書】厚菴其他書道、醫術、歌學並びに之をよくし、所謂衆藝を兼備するものであつた。文政九年三月二十八日享齡六十五歳卒去した。【辭世】辭世の所詠に「けふといふけふ迄けふをしらさりき明日なき身とはかねてしりつゝ」と見える。【墓所】後門人等、墓碑を
遍照寺
の兆域に建てた。(墓誌)